フランチャイズを活用し、時間をかけずに事業を立ち上げる
やると決めたら、動きは早かった。2018年に会社を立ち上げ、まず取り掛かったのは、自分が携わって、立ち上げた「リハビリテーション颯」とのフランチャイズ契約。病院勤務の頃からと同じやり方でできるので、独立しても、自分でもできるだろう、と始めることにした。
「場所は商圏調査もして、それなりに高齢者率も高く、馴染みもあるというと、瀬戸しかないと思いました。僕は名古屋出身ですが、親戚は瀬戸が多く、父親も小さい頃は瀬戸に住んでいて、会社も瀬戸だったので、よく訪れていたんです」
「RASHIKS」のホームページをつくり、「リハビリテーション颯」のチラシを持って、病院や市役所などへ挨拶まわりをして、営業を進めていった。
さらに、身体が思うように動かなくなり、リハビリがなかなかできなくなった時に、どこかしら支える部分にリンクできたら、心強い居場所になるんじゃないか。そんな想いで、2020年に「訪問看護」を始めることにした。
「訪問看護」の経験はまったくなかったので、知り合いにノウハウを教えてもらい、まったくのゼロからスタートした。
訪問看護でとくにやりたかったことは、残りの余命を少しでも心穏やかに過ごせるように痛みや不安、ストレスを緩和する「ターミナルケア」。
「いとこの急死をきっかけに、どういう最期を迎えると、人は幸せなのか。どうしたら納得して、命を終えられるのかな。どういうケアがいいんだろうか? というところに、組織をつくりたくて、訪問看護を始めようと思いました」
2021年11月には、障がいがあっても、稼ぐをコンセプトにする事業所「リハスワークせと」をオープンする。
「障がいがあるからといって、支えられる側ではない。支える、支えられるの二軸ではなくて、社会の一員として、社会に貢献するひとりの人として、当たり前に周りの人が受け入れる環境をつくりたいと思っています」
実はここも、専門学校のひとつ上の先輩が立ち上げた組織。フランチャイズに加盟する形で進めている。田中さんは、必要な寄り道はあっても、確実に辿り着くことを何より大事にしている。そのために、どうすればよいかを常に考えながら、前進している。
「僕の中のキーワードは時間がない。だから、先輩がつくりあげてきた就労支援の形を自分でつくると、10年ぐらいはかかるだろうから、そこのノウハウをフランチャイズ料で買っています。
僕は0から1をするのも好きなんですけど、1から10にするのも好き。0から1に10年かけるなら、1から10に3年でやっていきたいですね」
これほどまで、生き急いでいる理由は何なんだろうか。
「時間による変化量が大きすぎているのかな。うちの母は障がい者で、僕の妊娠中に、妊娠中毒症になって、人工的に血液の浄化を行う透析をしなくてはいけなくなってしまったんです。それで、できることが、目に見えて、日に日に減っています」
小さい頃は『どうせ僕なんて、いらない子でしょ?』が口癖で、マンションのベランダから飛び降りようとしたり、自分が生まれてきたことに対して、責めていたこともあったという。
「医療があったからこそ、自分が生かされている部分もあった。それが小さいながら気持ちの片隅にあって、時間を大切にして生きていかないと、と思ってきた。
母の姿を見て、産んでくれた感謝もある。彼女が望むことだとしたら、自分の人生をまっとうする。生き切る。それが自分が生きる上でのテーマであり、産んでよかったな、がゴールとしてあると思います」
人生最期の瞬間まで“自分らしく”をまっとうできる社会を作りたい
まもなく「リハスワークせと」がオープンする、というタイミングで、田中さんはすでに次の大きな構想へと移っている。それが、専門の福祉によるまちづくりだ。
「高齢者や障がい者は、生産的な部分を考えても、どちらかというと、戦力にとらえられていない現状がある。けれど、この瀬戸というものづくりのまちで、高齢者と障がい者が、瀬戸を支えるという意味合いのまちづくりをしたいです」
テーマは『明日を生きる、ギフトになる』。次に生きる世代にどんな社会を残せるのか。
「病気や障がいを持ちながらも、家庭や地域においてイキイキと活動できる社会。そして人生最期の瞬間まで、誰もが“自分らしく”をまっとうできる社会を作りたい。共生する社会の浸透した先が、残せるものが次の世代のギフトになるんじゃないかな、と考えています」
「まちを作る」という事業は、田中さんにはまったくの専門外であり、お話を聞く限り、かなり壮大なもの。けれど、田中さんなら、何かしら必ず実行するんだろうな。そんな確信を人に与えてくれる。