――『明石家サンタ』は、八木さんが入社3年目の頃に始まったんですよね。

はい。それから、さんまさんと三宅さんと何のロマンチックなこともないイブをずっと過ごしています(笑)。まさに自分の歩みとともにこの番組がある感じですね。

――ご結婚されて、アメリカに滞在されていた時期も、この番組のために日本に戻ってきていましたよね。

結婚してアメリカに住むことになったので、さんまさんとはなんとなく「もうできなくなっちゃいますね」みたいな感じで話していたんです。でも、三宅さんに「別に辞めなくてもいいんじゃない?その都度考えれば」って言われて…。あらためてさんまさんに相談したこともあったんですけど、「正解はない」ってお返事だったんです。で、そのまま、別にアメリカから帰ってこられないわけでもなかったので、「まぁ自然な流れで」みたいな雰囲気になって、とりあえずやれないことがない限りお話をいただけるなら続けようかなと思って、今に至ります。その後大きな変化もなかったので、ここまで来ちゃったって感じですね(笑)

――この席は譲らないぞ、という気持ちではないんですか?

全然ないです(笑)。毎年、10月くらいになると「今年もあります」って連絡が来て、「あぁ、今年もありがたいなぁ」みたいな(笑)

「テレビは昔のほうが面白かった」論のカラクリ

――昭和の最末期にフジテレビに入社された八木さんにとって、平成の30年は、まさに八木さんのテレビでの歴史でもあると思うのですが、この間の変化はどう感じていますか?

一番大きいのは通信手段の変化ですよね。学生のときにNTTの説明のバイトをしてて、当時もパソコンじゃなかったと思うんです。「キャプテンシステム」っていうのがあって、双方向通信ができるなんて言ってた頃で、入社2年目くらいに携帯を持ち始める同僚がいたくらい。そういう通信機器の変化に伴って、カーテンの向こうにいた芸能人がググググって手のひらに乗るまで近づくようになって、テレビの存在感が大きく変わったなと思います。でも、「今後、テレビは大丈夫なのか」とか議論になったりするじゃないですか。私には全然分かりませんが、テレビが出てきたときも、映画やラジオがなくなるんじゃないかと言われたと思うんですけど、今でもありますからね。映画館は満杯になるし、私もラジオをやっていて皆さん聴いてくださってるし、パイは少なくなるかもしれないけど、このままこんな感じなのかなぁって思います。

――よく「テレビは昔のほうが面白かった」と言われたりしますが、それについてはいかがですか?

それは、面白いものだけが残ってみんな見返すから、そう感じる人がいるんだと思いますよ。この前、自分が出てたバラエティ番組をいくつかまとめたビデオがフジテレビのアナウンス室から出てきたというので送ってもらって、それを久しぶりに見たんですけど、中にはつまんなくて衝撃を受けたものもあって(笑)。だから、昔は面白かったとか、質が高かったとか言うけど、面白いものだけが“神7”として残ってるだけなんですよ。『明石家サンタ』が同じスタイルで続いても、話す人が違ったり時代が違ったりして、さんまさんのような実力のある人が優れた料理に変えてくれるから、ずっと面白い番組として残ってきたということですよね。

――入社した頃のフジテレビは、バブル絶頂で視聴率もトップで、相当にぎやかだったんでしょうね。

でも、変な人も多かったですよ。お金のあるところはにぎやかだけど、その分変な人が近づいてくる確率が高かったので、普通に騙されてる人とかいましたからね(笑)。あと、カラースーツを着てる人が結構いました。青とか、黄色とか(笑)

――いろいろお話をお聞かせいただきありがとうございました。最後に、八木さんの不幸話をお伺いできれば…。

私、番組に出るときは必ず結婚指輪をつけていたんですが、『明石家サンタ』はサンタさんが結婚指輪してるのは変だろうと思って、結婚して1~2年たってから、夫の許可も取って外して出たんです。そしたら、“仮面夫婦疑惑”が出るようになっちゃって! アメリカに行ってるはずなのにクリスマスに番組出てるし、結婚して少したった頃だったから、インターネットで「八木亜希子」と検索すると「仮面夫婦」って出るようになっちゃって。周りの友達みんなから「旦那さんとうまくいってるの?」ってすごい聞かれるようになったことがありました(笑)