瞬時に日本に波及――体力奪った超円高
こうした経済危機は瞬時に日本に波及しました。日経平均株価はリーマン破綻直前の1万2,214円から、1カ月後の10月には一時7,000円を割り込みました。
景気も同じように急速に悪化しました。自動車を中心に米国向けの輸出が60%も減少し、輸出全体でも半分に落ち込みました。不況はあらゆる産業分野に広がり、日本を代表するような大企業が軒並み赤字に転落しました。トヨタ自動車は2009年3月期決算で事実上初めての最終赤字となり、日立製作所は7,951億円と日本の製造業で過去最大の赤字を記録しました。
このため雇用も日に日に悪化していきました。有効求人倍率は月を追うごとに急低下し、リーマン破綻直前の0.86倍から、翌2009年8月には0.42倍まで下がりました。「派遣切り」といった言葉が生まれたのも、この頃です。
これに円高が追い討ちをかけました。米国の金融危機によってドル売りが殺到し、入れ替わりに円が買われたのです。欧州の金融機関も証券化商品への投資によって多額の損失を出していたためユーロも売られ、これもまた円高を加速することになりました。前述のように日本の金融機関は経営が安定しているとして円に対する安心感が広がり、円買いを後押しすることになったのでした。
そうした肯定的な評価は喜ばしいことだったと言えますが、それが円高を招き日本企業を一段と苦しめることになったわけで、なんとも皮肉な現象でした。リーマン破綻直前に1ドル=107円台だった円相場は、10月に100円を突破した後、12月には80円台に上昇しました。その後、2011年以降は円高が長期化し、2012年12月の安倍内閣登場まで70円台という「超円高」が続くことになります。
ただでさえ長年の経済低迷で弱っていた日本経済は、超円高によってさらに体力が奪われることになりました。日経平均株価は2009年3月の7,054円を大底に、6~7月に一時は1万円の大台を回復する場面がありました。しかしその後は1万円前後から8,000円台の水準で大底を這うような展開が続くだけで、2012年11月まで上向くことはありませんでした。
意外に早く回復した米国、一段と低迷が続いた日本
リーマン・ショック後、さらに経済低迷が続いた日本とは対照的に、米国は意外に早い立ち直りを見せるようになりました。ダウ平均は2009年3月の6,547ドルを大底に、同年10月には1万ドルの大台を回復、その翌年の2010年11月にはリーマン・ショック直前の水準を上回っています。あれだけの経済危機だった割には回復ペースは速かったと言えます。
その後、ギリシャ危機や欧州債務危機、中国の株価急落などの影響で一時的には下げる局面もありましたが、長期トレンドとしては上昇基調が続き、2013年3月には最高値を更新しました。その後も高値更新が続き、現在に至るまで上昇基調が続いています。今ではダウ平均は1万6,000ドルまで上昇しており、景気もほぼ10年間にわたって拡大を続けています。
米国経済がいち早く立ち直ることができたのは、政府とFRBの政策対応によるところが大きかったと言っていいでしょう。当時のブッシュ政権は前述のように当初は公的支援に否定的で、その点は「失敗」と言われていますが、リーマン破綻による金融危機の広がりを受けて金融機関に公的資金を注入する方針に転換しました。リーマン破綻の翌10月にはその第1弾として、大手9行に合計2,500億ドルの公的資金を一斉に注入し、その後も数行に対し何度かにわたって追加注入を実施しました。
11月の大統領選で勝利したオバマ次期大統領も就任前から対応策を練り、就任直後の2009年1月には7,870億ドルにのぼる大規模な景気対策を打ち出すとともに、公的資金の追加注入と金融安定化策を実行しました。このようにブッシュ政権からオバマ政権への移行期の動きも評価できるものでした。
またFRBはリーマン破綻直後の金融システム崩壊を防ぐため、大量の資金を市場に緊急供給するとともに、各国と協調して12月までに矢継ぎ早に3度の利下げに踏み切り、政策金利をゼロまで引き下げました。この時、併せて量的緩和策を導入し、その後の長期の景気回復の支えとなりました。
このような一連の迅速な対応は、日本がバブル崩壊後に不良債権処理が遅れて何年もかかったことや金融緩和が不十分だったことを研究したうえでのことで、いわば日本を反面教師としたと言えるものでした。
しかしその日本は、リーマン・ショック後の政策対応の遅れや政治の混迷が災いし、さらに経済低迷を長引かせることになったのでした。リーマン・ショック直後の2008年9月に福田首相が退陣して麻生内閣が発足したものの、1年後には民主党が総選挙で勝利し鳩山内閣が誕生しました。ただ、鳩山首相も9カ月で退陣、その後の菅内閣は1年3カ月、野田内閣も1年3カ月と短命政権が続き、しっかりとした経済立て直し策は打ち出されないまま時が過ぎていきました。
このように経済が最も困難に直面していた時期に政治の混迷が続いたことは日本にとって大きな不幸だったと言わざるを得ないでしょう。野田内閣の終盤には日本経済は陰の極に達していたと言っても過言ではない状況でした。そのような時、2012年12月に登場した安倍内閣によってアベノミクスが打ち出され、日本経済は復活に向けて動き出しことになります。実際、アベノミクスによって景気回復が進み、その流れが今、令和の時代に引き継がれようとしているのです。
執筆者プロフィール: 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。