破裂した風船 - 不況長期化、数年後にデフレ

このように株価や不動産が先導する形で始まったバブル崩壊の波は経済全体へと広がっていきました。消費も冷え込み、一般の企業の業績も悪化していきました。その後、一時的な景気回復はありましたが、全体として日本経済は低迷が続きました。日本企業の国際競争力も低下し、やがて「失われた10年」とか「失われた20年」などと呼ばれるようになりました。このような状態は、アベノミクスによる景気回復が始まった平成24年(2012年)まで続くことになります。

ではなぜバブル崩壊がこのように深刻なものとなり、経済低迷を長引かせたのでしょうか。その原因は大きく分けて3つ挙げることができます。

第1には、バブル崩壊によって日本経済が大きな痛手を受け、その傷を癒やすには長い期間を要したことです。バブルとバブル崩壊を例えるなら、風船がどんどん膨らんで、パーンと破裂してしまったようなものです。通常の景気変動であれば、景気が後退してもある程度時間が経てば自律的に回復していきますが、バブル崩壊で破裂した風船のように日本経済は根本から崩れてしまったと言っても過言ではないでしょう。

そのため経済活動が収縮し、平成10年(1998年)以降はデフレに突入していきました。デフレとは物価が継続的に下落する経済状態のことです。物価が下がり続けると消費者は「物価はまだ下がるから今は買わないでおこう」と考えて、モノをなかなか買おうとしません。需要が減るのでますます物価が下がり、さらに買い控えが広がることになります。

物価が下がることは、企業にとっては売り上げが減ることを意味します。それは利益の縮小につながるため企業は経費削減を進め、やはり需要減退につながります。また企業は人件費を減らすため給料・ボーナスのカットや人員削減を行い、そこから消費減退→さらなる物価下落というデフレスパイラルに陥る構図となります。こうしてなかなかデフレから抜け出すことができなくなったのでした。

この状態はアベノミクスの登場まで続きました。アベノミクスはまさにこのデフレこそが日本経済低迷の根本的な原因として、デフレ脱却とそれを通じた日本経済再生を目標に掲げたのでした。

政策の遅れや失敗も - 景気対策は一時的なテコ入れ策に終始、遅れた金融緩和

しかしアベノミクス以前の政府の経済政策は、バブル崩壊後の日本経済を根本的に立て直すには不十分なものでした。不十分なだけではなく、失敗や誤りも少なくありませんでした。そのことが経済低迷を長引かせる第2の原因となりました。

歴代の内閣はバブル崩壊後、いわゆる景気対策をたびたび打ち出しました。その多くは公共事業が中心で、そのほか減税、中小企業対策などでした。それらは確かに景気テコ入れに効果はありましたが、一時的なものにとどまっており、日本経済を根本的に立て直すような内容ではありませんでした。

これを人間の病気に例えるなら、風邪で寝込んだのをきっかけに体力が弱り内臓疾患も見つかった患者に対し、風邪薬とカンフル注射で一時的に回復させたものの、内臓や筋力をつけさせ体力全体を回復させる治療を行わなかったようなもので、そのために病状がより悪化し長引いたのです。

また日銀は昭和末期から平成初期にかけて、バブルに対応して政策金利の引き上げを開始したのですが、株価下落が進んでいた平成2年(1990年)も2度にわたって利上げを行い、翌年7月まで高水準の金利を継続していました。

その間、株価は最高値から半値近くにまで落ち込んでいましたが、当時の日銀には株価下落に対する危機感は薄く、むしろ「バブル退治」を優先していたように見えました。その結果、金融緩和に踏み出すのが遅れたと言えます。この日銀の対応が、バブル崩壊の初期段階で傷を一段と深くした一因と指摘されています。

  • 株価急落が続いても日銀は大幅利上げと高金利を続けた

    株価急落が続いても日銀は大幅利上げと高金利を続けた

もっとも、政府や日銀だけがバブル崩壊への認識が弱かったわけではありませんでした。当時、私が取材していたエコノミストや企業経営者の多くも「しばらくは我慢の時だが、1~2年すれば景気は回復するだろう」と語っていました。

企業はバブル時代に膨らんだヒト(雇用)、モノ(設備)、カネ(負債)の3つが過剰な経営体質となっていたのですが、バブル崩壊による経済悪化を一時的なものととらえていたため、その「3つの過剰」を解消する構造改革に着手することなく、重荷を抱えたまま好転するまで我慢するというスタイルでした。多くの企業が本格的に構造改革に取り組むようになったのは、平成20年(2008年)のリーマン・ショック以後のことです。

バブル崩壊後の経済低迷を長引かせた第3の原因は、冷戦崩壊による世界経済の枠組みの変化と日米貿易摩擦です。これについては次号以降で詳しく述べます。

  • 平成の日本経済の主な動き

    平成の日本経済の主な動き

執筆者プロフィール: 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。