■朝ドラ『すずらん』抜てきの本音
――『スタジオパーク』ではデビュー当初の話もされていましたね。スカウトされて実感がないまま事務所に入り、翌年にはNHK連続テレビ小説『すずらん』に出演。とんでもないことですね(笑)。
そうなんです(笑)。テレビの収録現場には、カメラがあって人がたくさんいて、そこで撮影したものが「全国で放送される」という事実と結びつかなかったんです。放送されることは知っていても、なかなか想像できないというか……実感がわかなかったのは今でも覚えています。
――テレビで流れて、どう感じましたか?
「こうなるんだ」みたいな感じで(笑)、その時はちょっと恐いなとも思いました。深く考えられずにやってしまったことが、全国に流れてしまうことに。
――周囲の反響で実感がわいていったと。
でも、それからはあまり記憶がないんです(笑)。目の前のことを一生懸命やるしかなくて……実感……どうなんだろう。でも、「周りについていかなきゃ」とずっと思っていても、自分が主演になると逆に求められる立場に。その時に初めて「きちんとやってかなきゃ」と思うようになったんだと思います。
――辞めたいと思ったことはないんですか? 来年でデビュー20周年です。
辞めたい……「もうできない」と思ったことはあります。デビュー当時からマネージャーと距離が近いんですけど、マネージャーには「本当に無理です!」「絶対にこんなのできません!」と言ったこともありました(笑)。連ドラの台本を一気に3冊ぐらい渡されたこともあって。わがままとかではなくて、「自分では本当にできない」と思ったことはありました。自分のキャパを超えていたので。だから「辞めたい」より、「もうできない」と思ったことは何度もあります。取材で「現場から逃げたことがあったんですか?」と時々聞かれるんですけど、そうではないんです。
■「逃げ出した日」の真相
――たぶん、Wikipediaに書いてあるからだと思います(笑)。
私、現場から逃げ出したことは一度もないんですよ(笑)。逃げ出したら大問題です。現場ではなくて、マネージャーと話している時に「もうできない!」「明日行かない!」と言って家出みたいに逃げ出したことがあったんです。たぶん10代の頃だったかな。本当にパンクしそうで。でも……きちんと台本を持って逃げ出してたんです(笑)。
――さすがです(笑)。
マネージャーとは朝まで連絡取らなかったんですけど、翌日にはきちんと現場に行きました。反抗したのは対マネージャーであって、現場には絶対に行くつもりではいました。
――事実と大きく異なるので、必ず書いておきますね(笑)。
ありがとうございます。同じことを取材で話したはずなんですが、なかなか伝わらないものですね(笑)。
――とにかく投げ出すことは、ご自身の中では「良し」としなかったと。
そうですね。当時、電車に飛び乗って。現場に行かないという選択肢は、自分の中にはありません。20年間1度も……今、偉そうに言いましたけど当たり前ですよね(笑)。
――その場から逃げてしまいたくなる気持ちは、誰でも味わったことがあると思いますよ。
仕事をはじめて数年経った頃だったので、現場から逃げ出したらどれくら大変なことになるのか分かりますし、現場で大先輩方を見てどんなことを求められるのかも分かっているからこそ「できなかったらどうしよう」という不安とプレッシャーは常にありました。
――過酷な状況や現場を耐えてこられたのは、なぜだと思いますか?
「満足しない」からじゃないですかね? もっといいものに出会えるかもとか、理由はいっぱいあるんですけど。いい作品に出会うと、もう一度その快感を味わいたくなる。快感というのは、自分の中での役との一致とか、自分の中での許せないところを見つけた時とか。満足できないところは必ずあるんですけど、毎回100%以上の力を出し切っているつもりではあります。それが皆さんの目にどのように映っているのか、自分では分からないので。さらに、映像では編集や音声などいろいろな方の力が加わって作品ができていますから。
――インスタのクランクアップ報告では「この作品に出会えてよかった」と書いてありました。この一文にはどのような思いが込められていたのでしょうか。
ステキな3カ月を味わえてよかったなと思います。こんなにも役に全力投球できて、スタッフさんも、めちゃくちゃな私たちを見守ってくださって(笑)、本当に「いいものを撮ろう」と支えるスタッフの力も感じました。そして、こんなに楽しませてくれる共演者がいて。ずっと笑ってるので、笑いジワができちゃうんですよね(笑)。充実した毎日を送れて、そんな時間に「ありがとう」という気持ちです。純粋に物作りと向き合っていた、幸せな時間でした。
■さらに女優と向き合えるようになった転機
――さて、このインタビュー連載は「役者の岐路」をテーマにしています。第1回のオダギリジョーさんは映画『ゆれる』(06)が転機となり、第2回の松雪泰子さんは演技の本質は舞台にあったとおっしゃっています。内山さんにとっての、「役者の岐路」とは?
それぞれのきっかけがあるので……『ゆれる』は私も観て役者さんの大変さが伝わりました。あの時のオダギリさんもすごく覚えています。松雪さんみたいに舞台ですばらしいお芝居をされて……私も10年目に初めて舞台をやらせてもらって、お芝居に対する考え方が変わってたんですが……とにかくたくさんの岐路がありました。
でも、30歳を超えてから、やっと自分を見られるようになってきた気がします。それまでは、なかなか自分を褒めてあげられなかった。今の自分に納得しているというよりは、「今できることをやった」というか。監督と話し合って、自分の中では「精一杯やれた」ということを20代ではなかなか思えなかった。あっけらかんとはしてるんですけど、どこかでモヤッとしていて。
16歳から女優しかやってこなかった人生でしたが、ヨガのインストラクターをはじめたことによって、女優ではなく一人の人間として人と接することができて。人に接して、人の体に触れて。その人の仕事状況を聞ききながら、人の癖や疲れを知ったことは、自分が演じる役に反映しています。この役はこの職業だから、ここに疲れがたまるんだろうなとか。役柄を客観視できたんですよね。今振り返ると、女優以外の仕事をすることによって、もっと女優という仕事と向き合うことができたと思います。
■プロフィール
内山理名
1981年11月7日生まれ。神奈川県出身。O型。身長157センチ。高校1年生の時に地元でスカウトされ、芸能事務所・スウィートパワーに所属。翌年にはNHK連続テレビ小説『すずらん』で常盤貴子の幼少期役に抜てきされ、その後も、数々のドラマや映画に出演。2017年は、映画『ゆらり』で岡野真也とW主演。ヨガのインストラクターとしても活動し、全米ヨガアライアンスRYT200などの資格を取得している。