■役に入る感覚を得た「徹底的なプロファイリング」
――実に数多くの作品に出演されてきた藤さんですが、ターニングポイントになった作品について伺わせてください。
僕は日活映画出身で、現場で仕事を覚えてきました。劇団なんかで芝居の勉強をしてきたわけではなく、舞台に立ったことは一度もありません。映画という現場で、周りの人を見たり、ほかの人の作品を見たりして覚えてきた職人みたいなものです。それでもどうやったらいいか、メソッドというのがなかなか分からないし、周りからも認められない。それでも少しずつ、人に何か伝えられるような表現ができるんじゃないかと手探りが始まって、「こういうことか」とやり口を覚える作品に出会えることがある。それが、ひとつ自分にとってのエポック作品ですよね。
――藤さんにとっての、そうしたエポック作品がありましたら教えてください。
石原裕次郎さん主演の『昭和のいのち』(1968)という映画です。決して大きな役ではなく、小さな役で、スリをやったんですが、その時に初めてプロファイリングをしたんです。物語当時のスリの文献を漁ったり、スリの名人と言われた人たちを調べたりした。それを徹底的にやって、演じるスリの中に入ることができたんです。
――おお! 実際に撮影現場でも違いがありましたか?
みんな、笑っちゃってました。なぜかって、あまりにリアルすぎたから。今までの藤と全然違うって。歩く姿、いや空気から藤がいなくなって、完全にスリの男になっちゃってるって。
――藤さん自身も感覚として、これまでと全く違ったのですか?
体が自由に動くようになりました。全てがリラックスして。それまでの作品とは違いましたね。それから、もうひとつはっきりとエポックメイキング的な作品があります。
――ぜひ教えてください。
これは私の俳優としての知名度が絶対的に変わった作品で、TBSの『時間ですよ』(73)というドラマです。そこで、カウンターでじっとうつむいている、ほとんど何もしゃべらない不思議な男として出演しました。出始めて2カ月くらい経つと、街で人が振り向くようになったんです。映画を10年やっていて、そんな経験はなかったのに、本屋で立ち読みしてると、コソコソ人が話をしていたりして、「どうも自分のことらしい」と。視聴率30%以上のテレビドラマの影響力を体感しました。
――しかも主人公として出ずっぱりの役だったわけではないのに、大評判になった。
私もどうしてか分かりません。何もしゃべらず、お酒を飲んでいればいいと言われて、本物のお酒を飲んでいたんです(笑)。(演出の)久世光彦さんが道を開いてくれたんですね。
■野望は抱かず、作品という名の「旅に出よう」
――役者さんは、本当にいろんな役柄と出会ってその人生を生きるわけですが、なかには三原監督との3部作のように、人生とイコールになっているお仕事にチャレンジすることもあります。そうしたチャレンジは楽しいものなのでしょうか。
楽しいという言葉は似合わないかもしれないね。でもこの仕事は生き甲斐だから。仕事をしていないときって、本当に一日が早いんです。あっという間に翌日がくる。仕事をしていると、一日がギューっと延びる。夕方って来るの? という感覚。役を生きていると、そのことばかりずっと考え続けているからか、時間が延びる感覚がするんです。不思議ですね。
――さて、80代に入られて2作目の主演作公開です。今後の野望を教えてください。
野望なんかないですよ。ただ、「また旅に出よう」って、そんな感じですかね。作品という名の「旅に出よう」ってね。
――ああ、ステキですね。これからも、藤さんとたくさん旅をご一緒できることを楽しみにしています。
■藤竜也
1941年生まれ。中国・北京で生まれ、神奈川県横浜市で育つ。日本大学芸術学部在学中にスカウトされて、日活に入社。『望郷の海』(1962)でスクリーンデビューを果たす。大島渚監督『愛のコリーダ』(76)、『愛の亡霊』(78)で海外でも高い評価を得た。主な出演映画に『龍三と七人の子分たち』(2015)、『初恋 お父さん、チビがいなくなりました』(19)、『それいけ!ゲートボールさくら組』(23)。ドラマに『時間ですよ』(TBS/1973)、NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』(2021)など。三原光尋監督作品『村の写真集』(05)では第8回上海国際映画祭・最優秀主演男優賞受賞。その後『しあわせのかおり』(08)に出演し、『高野豆腐店の春』(23)は三原監督と3本目のタッグとなる。