1961年、村の懇親会で振る舞われたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」。犯人と目された奥西勝さん(当時35)は一審判決で無罪を勝ち取ったが、二審では一転して死刑判決に。以降、無実を訴え続けるも、2015年に89歳で獄中死した。

この事件を46年にわたり取材してきた東海テレビのドキュメンタリー映画『いもうとの時間』(1月4日から東京・ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町で公開)。プロデューサーの阿武野勝彦氏は、同局を退職するにあたっての最後の題材に、この事件を選んだ。

そこにはどんな思いが込められているのか。また、今回の主人公である“いもうと”が戦い続ける原動力とは。昨今「オールドメディアがSNSに負けた」と言われる中で改めて実感した継続して取材・報道を続けることの意味なども含め、阿武野氏に話を聞いた――。

  • 『いもうとの時間』プロデューサーの阿武野勝彦氏

    『いもうとの時間』プロデューサーの阿武野勝彦氏

「袴田事件」や『虎に翼』がきっかけに

24年1月末で東海テレビを退職した阿武野氏。名張毒ぶどう酒事件のドキュメンタリーは、自身の仕事の中で「背骨」と位置づけていることもあり、在職中最後のプロデュース作品として、同年2月10日に東海ローカルで放送された『いもうとの時間 名張毒ぶどう酒事件・裁判の記録』を手がけた。主要スタッフの鎌田麗香監督と奥田繁編集マンが、藤井聡太棋士の取材に追われていたため、完成したのは阿武野氏が退職する1月31日の夜というギリギリのタイミングだった。

そこから追加取材・再編集した今回の劇場版『いもうとの時間』を製作することになったきっかけの一つは、1966年に発生した通称「袴田事件」の再審判決が出ること(9月26日に無罪判決)。そして、日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ女性を主人公に描かれたNHK連続テレビ小説『虎に翼』が反響を呼んでいたことも大きかった。

「裁判官や司法の世界が芳醇に描かれたドラマが放送されたことで、身近に感じたり、歴史的な流れを捉え直す人も多いと思ったので、そんな皆さんに“名張毒ぶどう酒事件というものをどういうふうに見ますか?”と問いかける意味で、今こそ公開する意味があるタイミングだと思いました」(阿武野氏、以下同)

  • 袴田巌さん (C)東海テレビ放送

妹がはっきりと言った「ちょっとの間も忘れたことない」

東海テレビでは、名張毒ぶどう酒事件を題材にしたドキュメンタリーを8本制作し、劇場映画はこれで4作目。様々な切り口で描いてきた中で今回、奥西さんの妹・岡美代子さんをテーマにしたのは、「残された時間の重さを世の中に訴えたい」という思いだった。

「岡美代子さんはもう94歳なので、もしこのまま亡くなってしまったら再審を請求できる人はいなくなってしまう。時間との戦いになってきている中で、速やかに再審を開始してほしいという意味を込めて、46年にわたる東海テレビ『名張毒ぶどう酒事件』シリーズの“最終章”としました。この後は、再審無罪という司法の新たな物語の幕開けにしてほしいと思っています」

その上で、「“家族がこういう目に遭ったら、あなたはどうしますか? 今、私たちはこういう危うい司法環境に置かれているんです”ということを描き込みたかった」「“死刑囚・奥西勝”という括弧でくくられた存在になっていたところを、家族など周りの人たちとの関わりの中で奥西さんのパーソナリティを描き出していきたい」という狙いもあった。

  • 岡美代子さん (C)東海テレビ放送

63年にわたり兄の無罪を信じ、再審請求を引き継いだ美代子さん。その原動力を、「やはり家族への思いだと思います。特に無罪を信じ続けたお母さんの思いを受け取って、兄が亡くなった後も自分の命ある限り世に問うんだという気持ちを、心の奥深くに持っているのだと思います」と捉えている。

その思いを象徴するのが、今回の映画で美代子さんが主治医と事件について会話するシーンだ。

「美代子さんの主治医が、こう語りかけます。最初に現場に駆けつけた医師が自分の父で、叔母も事件に巻き込まれて3日間失神していた、と。主治医は“昔のことはあまり思い出さんほうがええか”と言うんですが、美代子さんは事件のことを“ちょっとの間も忘れたことない”とはっきり言うんです。美代子さんの日々の暮らしに、事件がくさびのように打ち込まれていて抜けることがなかったんだと思いました。冤罪に巻き込まれた親族がどういう思いでいるのか、胸を締め付けられるシーンです」