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黒岩氏の巧みな脚本を見事に映像化させた演出陣も忘れてはならない。特に今作は、映像的な“チープさ”を決して見せてはならない。なぜなら、チープさが見えた瞬間にこのドラマは絵空事となり、はたまた最終回における戦闘シーンが子どもだましになってしまうからだ。近年のVFXの進化も大きいが、“誰も見たことのないドラマ”を全く見劣りしない映像演出によって、誰も見たことのない世界観を成立させた。

特に個性が光ったのは、チーフ演出の石川淳一監督(第1話・5話・最終話を担当)と、松山博昭監督(第3話・6話・9話)だろう。石川監督はこの難しいテーマを内包する作品の導入部をキャッチーにして気軽に視聴できる雰囲気を構築しながら、今後“何かある”と思わせる含みをしっかりと封じ込めた。また最終回のVFXを用いた呪術バトルも、ともすれば一気にチープになってしまいそうだが、見事な映像センスで大人もワクワクできる世界を演出してくれた。

一方、松山監督は選曲とその“入り”が秀逸だった。一見今作にはマッチしないのではと思わせたエンディングテーマのバラードソング「エンドレス」(TOMOO)は、特に第3話での壮大な愛の結末に流れるタイミングが絶妙で、様々な要素を持つおもちゃ箱のような本作に美しい“リボン”をかけてくれた。

演出以外においても、名作に名サントラあり。地上波連ドラ初担当だったという劇伴の小西遼氏のサウンドメイクも忘れてはならない。特に印象的だったのは、不穏な電子音から突然力強いオーケストレーションへなだれ込む「Nobody expected」だ。このトラックは衝撃的な展開が続く今作でしかマッチしないのではないかと思うほどインパクト絶大で、まさに“誰も予期していなかった”(=Nobody expected)見事な劇伴だった。

“訳が分からない”のに面白いすごさ

今作のさらなるすごさは、ここまで外側の語るべきことがありながら、肝心の物語の詳細を振り返った時に、いまだに“訳が分からない”ことだ。

劇中には実際に伝えられている多くの神々が登場するのだが、その能力(ご利益)や関係性などを含めたこのドラマの物語としての“真の深さ”は、『日本書紀』などに触れたことのある、神に造詣のある人しか達することはできていないだろう。また、先にも述べた神の設定の数々もかなり難解かつ複雑で、1回の視聴では到底かみ砕けるレベルではない。それほどに、実は“訳が分からない”作品なのだ。

しかし、今作にとってはその難解さや複雑さこそが視聴者にとっての快感であり、面白さにつながっている。“訳が分からない”から匙(さじ)を投げるのではなく、“訳が分からない”からこそ知りたい、もっと物語を理解したいと渇望する。よって今作はこれから、難解な設定を理解するためにもう一度視聴し、さらには神にまつわる文献を学習し、再び視聴することで、新たな深みが増すドラマに仕上がっていくだろう。

“訳が分からない”状態でもここまで熱狂させてくれた本作なのだから、様々なことをもっと理解できるようになったとき、“真の面白さ”が見えてくるはずだ。とはいえ、興玉いわく「すべてを分かろうとするなんて人間の傲慢」である。とことん底が知れない。

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