2024年に放送されたドラマの中で特に異色だったのが、18日に最終回を迎えた『全領域異常解決室』(フジテレビ系、FODで配信中)だ。当初は、科学捜査では解決できない“不可解な異常事件”を、世界最古の捜査機関と呼ばれる“全決(ぜんけつ)”メンバーが解決へ導いていくというミステリードラマと紹介されていたが、それはただの“体裁”にすぎなかった。
実は神々が登場するファンタジーであり、呪術使いの戦闘を描いたSFであり、虚実入り乱れるSNS社会に警鐘を鳴らす社会派であり、太古の歴史からさかのぼる壮大な愛の物語であり、登場人物たちの心の機微を描いた人間(神)ドラマでもある……そんな誰も見たことのない作品に仕上がっていた。
とんでもない動きを見せた第5話
まず本作が“誰も見たことのないドラマ”…ある意味で、視聴者層を極端に限定させてしまう作風でありながら、多くの視聴者を巧みに誘導できたのは、ドラマ全体の“構成の妙”にある。序盤は一風変わった単なる刑事ものかと思わせながら、そこからとてつもなく壮大な“ゾーン”へ突入していったのだ。
例えば第1話の導入部は、「全領域異常解決室(全決:ぜんけつ)」という“不可解な異常事件”の捜査を専門に担う機関へ、何も知らない女性警察官が出向を命じられ、そこで超常現象のスペシャリストである室長代理とバディを組むというものだった。これはよくある、キャラの立った主人公に視聴者目線の何も知らない相棒をセットにするという“ありきたり”だ。
また初回の事件も「神隠し」と呼ばれた、大量の血液と衣服が残り、人間の身体だけが消えてしまう“不可解”なものだったのだが、実はそこにトリックが隠されていた…というオチだった。これも同局の名作『ガリレオ』のような、どんな不可解な事件にも仕掛けがあるという作風で、新味という点では感じられなかった。
だが初回で解決されなかった他の神隠し事件と、その犯行声明文を出した“ヒルコ”の存在、また時折“歪んで見える”という“含み”の数々を残すことで、今作が“ありきたり”なドラマではないという予感を残した。
そして第3話のエピソードでは、空から突如物体が落ちてくるという“異常現象”が、“タイムホール(時空を操る装置)”の存在を示唆し、トリックよりも不可解が上回ってしまうという展開を見せた。そこで今作は、トリックと不可解の“逆転”を見せる、それを新味とするドラマになっていくのかと思わせた。
しかし、そこから予想を大きく覆すとんでもない動きを見せたのが、第5話だ。“千里眼(遠くの出来事を感知する能力)”を持つ少女を登場させて“神”の存在をほのめかし、次の第6話では主人公までもが、まさかの“神”であることが判明。続く第7話では、視聴者目線であるはずのバディまでもが“神”だったことが明かされ、「全決」メンバー全員が“神”であるという、前代未聞の「神ドラマ」であることがようやく提示されたのだ。
以降は終盤にかけて、神と神との抗争、はたまた人間と神との攻防という壮大過ぎる展開を見せ、最終回では、呪術が当たり前に飛び交うまるで戦隊モノかのような映像ギミックまで見せてくれた。
もし初回から神たちが登場し、呪術が飛び交うドラマとしてスタートしていたならば、多くの視聴者がふるいにかけられ、ただのトリッキーで色物のドラマと思われていただろう。しかし今作は、序盤によくあるちょっと変わった設定の刑事ドラマと“見せかけ”て誘導し、それが後半の“深み”にもつながり、誰も見たことのないドラマでありながらでも、多くの視聴者を没入させることに成功させたのだ。
視聴者を“論破”してくれる黒岩勉氏の筆致
そんな“構成の妙”とともに、今作を絵空事の“ありえない話”にさせなかったのは、脚本の黒岩勉氏によるものが大きい。黒岩氏は連ドラデビューとなった『LIAR GAME Season 2』(フジ)を皮切りにその劇場版や、転機となったスマッシュヒット作の『僕のヤバイ妻』(カンテレ)、最近では『TOKYO MER~走る緊急救命室~』(TBS)や『グランメゾン東京』(同)なども手がける超ヒットメーカーである。
黒岩氏の特徴を一つ挙げるとするなら、“辻褄合わせの巧者”だ。例えば、氏が手がけた100年以上も昔の原作を現代版に置き換えた『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』(フジ)や、架空の“殺人球菌”をテーマにした『グレイトギフト』(テレビ朝日)などからも分かるように、どんなに突拍子もない設定や、難解で入り組んだテーマを用いたとしても、視聴者が納得でき得るだけのエピソードを配し、我々を見事に“論破”してくれる脚本家なのだ。
その手腕が今作にもいかんなく発揮され、「神が登場する」という、どこをどう辻褄を合わせればいいのか分からない超難問テーマであるにもかかわらず、視聴者を大いに納得させるストーリーテリングだった。また最終回のキーアイテムにもなった、首元に貼ることでその人物を操ることができる「呪符」など、神にまつわる複雑な設定は、作り込めば作り込むほど綻びが出てきそうなのだが、視聴者を寄せ付けない難解さではなく、複雑で分からないからこそ楽しめる“深み”として昇華させた。
“辻褄合わせの巧者”といえど、外側の骨組みだけを巧みに構築できるのではなく、内側の“人情”も巧みなのが黒岩氏だ。例えば、トリックと不可解が逆転した第3話は、“タイムホール”というSF要素を持ち出しながら、研究者の愛の物語も壮大かつ繊細に描き出し、大きなフィクションの中に丁寧な心情描写を潜ませる、巧妙な人間ドラマであった。その人間ドラマの巧みさは、後の神の登場後も健在で、共感できるはずがない神々のキャラクターをも視聴者に納得をもって魅せる“神ドラマ”として表現してみせたのだ。