3番目に注目されたシーンは20時41分で、注目度79.1%。藤原伊周が仇敵・藤原道長にとうとう怒り狂うシーンだ。
「待たせたな」左大臣・藤原道長が上座へ腰を下ろすと、「敦康(渡邉櫂)様を、帝から引き離し申し上げるのはやめていただきたい。先例から考えても、次の東宮は帝の第一の皇子、敦康親王様であるべきです。それを帝も、お望みのはずにございます。どうか、帝のご意志を踏みにじらないでくださいませ」と、伊周はかすれた声で懇願した。伊周は先ほどからせき込み、憔悴(しょうすい)しきっていた。
「帝のおぼし召しで、参内を許されたにもかかわらず、なぜ内裏に参らなかった」道長は話を逸らし、逆に伊周に問いかけた。「お前の…せいだ…」伊周の腹の底から絞りだされた怨嗟の声はかすれてしまい、道長の耳には届かなかった。「ん?」怪訝(けげん)な表情の道長に、「何もかも…お前のせいだ!」と、伊周はすさまじい形相で絶叫した。そんな伊周を道長は臆することなくにらみつけ立ち上がる。「今後、お前が政に関わることはない。下がって養生いたせ」道長が冷たく言い放つと、伊周は呪いの言葉を発しながら、懐に隠し持っていた呪符を所かまわずばらまいた。「あははははは!」理性を失い狂乱する伊周を従者たちが必死で止めるが、それでもなお、伊周は道長への呪詛を続けた。従者によって広間から引きずり出された伊周は、狂った笑い声をあげ続けている。
偶然その場を通りかかったまひろは、眼前のあまりの有様に理解が追いつかずあっけにとられていると、部屋から出てきた道長と目が合った。道長の表情は暗かった。
「伊周が呪詛しすぎて壊れちゃった」
ここは、三浦翔平が絶叫する姿に、視聴者の視線が奪われたと考えられる。
妹である皇后・藤原定子の死がきっかけで呪詛マニアの道を歩み始めた伊周だが、呪詛のセンスは乏しかったといえそうだ。道長を狙ったつもりが姉である女院・藤原詮子が体調を崩したり、娘である中宮・藤原彰子が難産となったりと、そのノーコンぶりはネタとなっていた。
史実ではこの頃の道長は病がちではあったが、伊周の呪詛の成果ではなさそうだ。伊周も自身の才能のなさを自覚していたのだろうか。今回に至っては専門家にアウトソーシングを依頼している。しかし人を呪わば穴二つ。効果が出なくとも呪詛を行った伊周は代償を払うことになってしまった。
ネットでは、「伊周が呪詛しすぎて壊れちゃった」「伊周、道長への対策で呪詛しかしてないけど、他にできることあるやろ…」「今回から伊周の見た目が変わり過ぎている」と、自身が呪詛されたかのような伊周の衰弱ぶりが話題となった。
平安時代において呪術は人々の生活に深く根付いていた。当時の人々は目に見えない霊的な存在や力を強く信じていたのだ。呪術の中で特定の人物に悪影響を与えることを目的としたものが呪詛。嫉妬や恨みといった負の感情が、力となって敵対する相手に影響を与えると考えられていた。それだけに呪詛を行ったものは厳しく罰せられた。本来呪詛を専門としたのは陰陽師。『光る君へ』での陰陽師といえば安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)だが、彼の呪詛であれば、道長も一発で葬られていたかもしれない。