16歳のときに斎藤工からかけてもらった言葉
――マモルには、担当編集者さんをはじめとする周囲の支えもあります。仕事で頑張っているときにかけてもらった言葉で、心に残っていることなどはありますか?
私は本当に周りの方に恵まれていて、常に周りの人に助けてもらっているので、たくさんあります。そこからひとつ挙げるなら。16歳のときに、『最上の命医2017』(テレビ東京系)というドラマで、14歳で妊娠してしまう役を演じました。そのとき、主演だった斎藤工さんが、私のお芝居を見て泣いてくださったんです。「絶対に天職だから、この先も続けていってほしい。絶対、桃果は大丈夫だから」と言ってくださったんです。
――うれしいですね。
すごくうれしくて、忘れないようにメモしました。ほかにも、斎藤さんはオーディションでは審査側になるときもあるので、オーディションを受けるときのアドバイスをもらいました。「会場には、受ける側と審査員ではなくて、この人たちと一緒に何かを作るんだという気持ちで、仲間なんだというくらいのラフな気持ちで入ったほうがいいよ」と。そこから本当にオーディションに受かるようになりました。
――最初に話が出た山田さんもですが、斎藤さんも俳優でありながら、ご自身で作られる方ですね。
そうなんです。これまでに本当にたくさんの方たちに助けていただいています。
本作のプロデューサーは、11歳のときの自分の頑張りも知っている
――今のお話は16歳のときの出来事とのことでした。本編で、マモルと春の河原での会話に「続けること」の大切さを感じた箇所がありました。桃果さんは、続けてきたことを実感することはありますか?
本作のプロデューサーさんは、私が子どもの頃から知ってるんです。そのときにそちらの会社でお芝居のレッスンを受けさせてもらっていて、私は1日も休まずに参加させていただいてました。
――何歳くらいのときですか?
11歳か12歳くらいだったと思います。そこで頑張っていたのを、そのプロデューサーさんは見てくださっていて。なかなか一緒にお仕事できずにいたのですが、『唄う六人の女』のとき、二十歳でご一緒できた。小さな頃から覚えていてくださっていて、「やっと一緒にできたね」と。今、一緒にお仕事できている方たちと出会えているのも、続けているからこそだと思います。
仕事も私生活もちゃんと両立していきたい
――今はフリーランスで活動されていますね。
はい。とても勉強になっていて、いろんな方に助けていただいていることも、フリーになってより感じられるようになりました。大変なことも多いですが、フリーになったからこそ、これまではマネージャーさんに言われるからやっていたことも、「なぜこれをやる必要があるのか」と一つひとつの理由が分かるようになりました。仕事への向き合い方が、変わったと思います。フリーになって自分でいろいろやるようになって、いい経験をしているなと思います。「作る側」に興味を持てたのも、フリーになっていろんなお話を聞くようになったからです。
――子ども時代から活躍されていますが、今もどんどんいろんなことを吸収しているんですね。最後に、今後の野望を教えてください。
これは前から常に言っていることなのですが、俳優としては、観ている方たちの感情を、いろんな意味で動かしたい。幅広くいろんな役を演じられる俳優になるために、普段から、いろんな経験をして、小さなことでも、その経験や受けた感情を大事にしていきたいと思います。個人としては、将来結婚して子どもを作りたい。幼いころから、仕事も私生活もちゃんと両立したいんです。だから幸せに結婚して子どもを作って、俳優としても活躍して、ゆくゆくは映画を作って、海外に行って(笑)。
――おお、すごい! 期待しています。
桃果
2000年8月25日生まれ、神奈川県出身。小学生の時より『ニコ☆プチ』専属モデルを務め、『Rの法則』(NHK)等に出演。その後、俳優としても活動。23年に公開された『唄う六人の女』で演じた「見つめる女」が評判を集めた。主な出演作にGReeeeNのMV「ゆらゆら」「おまじない」「相思相愛」3連作、ドラマ『美しい彼』シリーズ(MBS)、映画『人狼ゲーム デスゲームの運営人』(20)、『消せない記憶』(23)など。最新作として映画『マンガ家、堀マモル』が公開。