向ヶ丘遊園モノレールの廃線跡を歩く
現在、向ヶ丘遊園モノレールの廃線跡は、一部が二ヶ領用水沿いの遊歩道になっている。また、終点の向ヶ丘遊園正門駅跡地は、「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の敷地の一部になっている。この間を歩いてみよう。
まずは、小田急線の向ヶ丘遊園駅に降り立つ。2002(平成14)年3月に向ヶ丘遊園が閉園してから、すでに20年以上経過しているが、駅名はいまも変わらない。駅前で出迎えてくれるのは、藤子・F・不二雄が生んだアニメキャラクターの像だ。これから歩く遊歩道上には、こうした像やレリーフなどがあちこちで見られる。
モノレールの駅はロータリーの向こう側、現在は駐輪場になっている場所にあった。モノレールは当記事冒頭の写真のように、道路中央を進んでいた。そして、ダイエー(現・クロス向ヶ丘)を左に見ながら、二ヶ領用水に架かる稲生橋の手前で左折していた。
ここから先は二ヶ領用水に沿って進む。現在、モノレールの廃線跡は、生田緑地ばら苑へアクセスする遊歩道になっている。川崎の遊歩道・緑道は手入れが行き届いていない場所が多いが、ここは本当にきれいに整備されている。
緑道の植栽をよく見ると、ところどころにモノレールの橋脚跡を示す小さなプレートが埋め込まれている。それぞれのプレートに橋脚番号も記されているので、ひとつひとつ探しながら歩いてみるのもなかなか楽しい。
さらに歩を進めると、モノレールが県道をオーバークロスしていた本村橋交差点に出るのだが、その手前に何ヶ所か、モノレールの橋脚を模したオブジェが設置されている。だが、表面を植物が覆っていて、もはやそれとはわからない状態になっている。
本村橋交差点を渡った先で、少し面白いものを見つけた。東急バスの雪ヶ坂バス停の標識が、用水を渡る小さな橋の上に置かれているのだ。まさか、この小さな橋をバスが渡るわけではあるまい。マイクロバスが来るのか、はたまたネコバスでも来るのか。一瞬、想像を巡らせたが、なんのことはない。バス通りの歩道の幅が狭いので、安全のため橋の上に標識が置かれているのだ。
さらに用水沿いを400mほど歩くと、対岸に立派な建物が見えてくる。「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」である。1977(昭和52)年の地形図を見ると、モノレールの軌道は、この少し手前で用水を渡り、終点の向ヶ丘遊園正門駅に進入していた。向ヶ丘遊園正門駅と隣にあったボーリング場の跡地が、ほぼそのまま「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」敷地になっていることがわかる。
さて、今回は向ヶ丘遊園モノレールの廃線跡を歩いた。このモノレールが建設される少し前の1961(昭和36)年、2週間の日程で、小田急電鉄の当時の役員が京阪や名鉄の幹部らとともに、ドイツのケルン市郊外に建設されていたアルヴェーグ式の試験線と、フランスのオルレアン市郊外にあったサフェージュ式の試験線の視察旅行に出かけている。未来の交通手段として、モノレールに対して相当な期待を抱いていたのだろう。
おそらく、向ヶ丘遊園モノレールは試験的な意味で建設されたのであり、将来的に小田急電鉄はもっと本格的なモノレール路線を建設するつもりだったのではないか。だが、モノレールは想定されたほどには建設費が安くなく、不採算路線が相次いだことなどから、あまり普及しなかったのである。