母国とはいえ、日本での活動に最初は戸惑いもあったと明かす。
「長いこと海外にいたので、最初は日本の社会に馴染めない部分がありました。仕事の仕方も全然違うし、10年前の日本はまだしきたりが強くて、コンプラもそこまで厳しくなかったので、そういった昭和からの流れを制作の現場で垣間見ることができ、そこからどんどん変わっていくのを体感できたことは、すごくいい経験になったなと感じています」
さまざまな国の現場を経験したことで、日本の現場の優れている点も明確に感じている。
「日本が突出して優れているなと思うのは“計画する力”。ほかの国の現場は仕切りが悪くて、日本のメソッドで仕切るとすごく感謝されるんです。それは日本の先輩たちが作り上げてきたもので、お金と時間がない中でどれだけクオリティを高めるかという仕組みを叩き込まれたことは財産だなと思います」
日本での約10年で自身も「すごく変わった」と言い、2022年公開の『Pure Japanese』で初プロデュースに挑戦するなど仕事の幅が広がっていることが大きな変化だという。
「10年前は出演する側という意識が強く、よく言えばシンプルでいられた。今は違う言語圏で、違う役職で、違うプロジェクトをいくつも同時進行で回しているので。去年は東南アジアで映画を撮ったり、プロデューサーとして参加するプロジェクトも増えてきました」
もともとプロデュース業に興味があったそうで、「やりたいと思うことにチャレンジさせてもらえるというのは、すごく幸運なことだなと思います」としみじみ。国境を越えた人脈も武器となっている。
「自分が国籍を持っている日本でも、外でもプロデュースの機会をいただけてありがたいなと思いますし、時間の積み重ねで繋がっている関係性はお金では買えないものだなと感じています。当時一緒に叩き上げてきた連中が、その国でそれなりになって頑張っているから、再会した時に盛り上がれる。これからも楽しみです」
国境を越え、そして、仕事の内容もボーダレスに活動するディーン。コロナが落ち着き、今また海外での仕事が増えているという。今後、俳優業とプロデュース業のどちらに力を入れていくのか、また、どの国での活動に力を入れるのか。そのバランスについては「縁ですね」と語る。
「求められて成立するもので、自分がどれだけやりたくても、それをやってほしいというファンの方がいてくれてやっと奇跡的なバランスが取れると思うので。とはいえ、やってほしいという期待だけでできるほど簡単なことではなく、自分もそこに対してパッションがなければ続かないと思います」
大変そうだなと感じるオファーも、初心に帰ると断ることはできないという。
「15年前の自分だったら喉から手が出るほど求めたチャンスだと思うと、やる以外の選択はないですよね。過去の自分を裏切れないし、未来の自分も裏切れない。そして、楽しみにしてくれているファンの方々に何かしらサプライズを届けたいと思いもありますし、願わくは受け取ってくださる方々の人生において何かいいことがあるといいなと思っています」