今回のドキュメンタリーで驚かされるのは、マユミさんが亡くなった後で随所に感じられる、彼女の周到な準備。スイスから遺灰が届き、1週間後の最初の月命日に「お別れの会」が行われたが、この短期間で迅速に営むことができたのは、マユミさんが生前、連絡をしてほしい人のリストを作成し、最期の日の前夜に書いた手紙をスイスから送っていたからだ。

この「お別れの会」を取材して、改めてマユミさんの愛される人柄を感じたという。

「ママ友からも信頼されていますし、18歳の長女の幼稚園時代からずっと密に関係を築いていました。会社の方も“本当に仕事ができる方だった”と話していて、皆さんショックを受けていました。実は“安楽死”という彼女の選択を事前に知っていた方はかなり少なくて、参列者の皆さんはいろんなことを考えたと思うんですけど、最後にはマユミさんの決断を受け入れてみんなで楽しく話せたのは、いろんなことを自分で決めてきて信頼されてきたからこそだ思いました」

娘たちには、人生の様々な節目における手紙を、事前に書いていた。そうした準備のおかげで、亡くなった後も、“お母さんをいつも感じられる”生活を送っていけるように、山本Dは感じるという。

「お母さんがスイスで買ってくれたお土産が部屋に飾ってあったり、4人の食卓のテーブルのお母さんの席はいつもそこにあるし、愛猫の“ひじき”と“おかか”にお母さんが乗り移って見守っているという話をしていて、“お母さん、めっちゃエサ食べてる!”みたいなことを言ってたりして(笑)。もちろん、お母さんが亡くなったというのは彼女たちにとって大きな出来事ですが、いろんなところでお母さんを感じながら生活できているという印象があります」

家族から絶大な信頼を得ていたマユミさん

準備周到なマユミさんの人柄を表す話として、初めて会った日が山本Dの誕生日だったことから、サプライズでケーキを用意してお祝いしてくれたというエピソードもある。

やり取りしていたLINEのプロフィールに記載されていた誕生日をチェックし、山本Dのインタビュー記事のプロフィールから生まれの年を知ったようで、「僕もいろんな取材をしてきましたが、こんなことはもちろん初めてでした。そういう人だからこそ、あのお別れの会ができて、家族の皆さんも明るく生活していけるんだろうと思いますね」と改めて実感した。

そもそも、妻・母が自身の命を終えようとする様子を、カメラが撮影するということは、家族にとって受け入れにくいことだと想像できる。それでも、今回の取材が実現したのは、「マユミさんが家族から絶大な信頼を得ていて、“お母さんが取材を受けると決めたから、それを尊重しよう”という家族みんなの思いがあるんです」といい、「亡くなった後も私の取材を受け入れてくれるのは、マユミさんが本当に家族からリスペクトされていた表れだなと思います」と噛みしめた。

先日、マユミさんのお墓が完成し、墓参りをしたという山本D。「一つの命がなくなるところに立ち会った事実は、自分の人生の中でも強く印象に残ることだったので、取材して終わりということではなく、一人の人間として、そしてマユミさんに対する敬意としても、引き続きご家族とお付き合いできればと思っています」と語っている。