ドラマ『セクシー田中さん』を制作した日本テレビ

今回の流れを整理すると、まず脚本家がドラマの第9話・10話の脚本を自身が書いていないことをインスタグラムで報告。その際に芦原さんの名前が記されず「原作者」と表現されており、ハッシュタグにも芦原さんの名前がなかった。その後、芦原さんが「そもそも原作を変えないという条件でドラマ化を受けた。完結していない作品でるため9、10話はあらすじもセリフも原作側で用意するという条件があった」旨を、X(Twitter)とブログで説明した。

これにより、脚本家や日テレへの批判、誹謗中傷が始まる。それに心を痛めたのか、芦原さんは「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とポストし、件のポスト・ブログを消去。同日から行方不明となり、翌日に死亡しているのが見つかったと報道されている。だが芦原さんの心境など、裏側や真相は明らかにされていない。

「SNSでの発言の問題は、誰かを叩いておしまいになっていることです。その次の未来の話に向かっていっていないものが少なくない。また時代の変化でしょうか、まるでネット掲示板のノリのようになってしまったSNSで、その一人のコメントをネットニュースなどの報道機関が取り上げ、さらに巨大なポータルサイトに掲載される世の中になった。これは、批判を受ける身にとっては少数の意見があたかも大きな世論のように感じられ、自分の人生が終わったかと思えるほどのショックを受ける。

 さらに、誹謗中傷をしている多くの方々は、誹謗中傷をしているのではなく“社会のため、正義のため”と思ってポストしている。これは弁護士ですらそういう方が見られるので、非情に難しい問題。ときに“正義”は人を殺すナイフになるということをよくよく考えていかなければならないのかなと思っています」

その上、Xなどは収益化されたことによるインプレッション稼ぎが増加し、これが拍車をかけた可能性もある。無論、こうした問題はSNSにとどまらない。テレビや雑誌、ネットニュースでも数字稼ぎの狙いがあるのだろうか、“憶測”で語る人が増えた。

「憶測自体を、憶測であることを明らかにして述べることは基本的に問題ありません。ですが、憶測で誰かを叩いたり、憶測で人を一方的に批判したりすることは避けなければならないと思っています。私もコメンテーターの経験がありますが、最近のコメンテーターは、以前よりは、このあたりには気を付けているように感じています」

“憶測”で語るとすればどうすればいいか。例えば現在進行中の松本人志を巡る問題であれば、「仮に女性側の話が真実だとしたら、私はこう感じています。でも裁判で明らかにはなっていないので一般論としてこう考えています」という断定的ではない表現が好ましいという。