本作は「家康の成長物語」とも言われているが、古沢氏は「僕は成長と思って書いていない」と言う。
「そもそも成長という言葉や成長物語という表現が好きではなく、人間の内面的な変化を成長と呼ぶのは傲慢だなと。誰かにとって都合のいい方向に変化したら『成長した』と言い、都合の悪い方向に変化すると『ダメになった』と言うけど、それはその人にとってそう見えているだけで、本人にとっては全然別。家康もいろんな経験をして技術を手に入れたということであれば成長だけど、この物語の家康はそうではなく、大きな喪失や耐えがたい挫折を経て、そのタイミングで変化しているので、僕の中では成長ではなく、心が壊れて、人間らしさ……彼本来の優しさや弱さ、幸せを捨てていっているという解釈で書きました」
そして、「その結果みんなから恐れられ、怪物のように思われ、あるいは人ではない神のように扱われ、でも本当の彼がどういう人か、視聴者は知っているよね、と」と述べ、「見てもらえばそう感じてもらえるんじゃないかなと思います」と語った。
前半では「兎」という言葉が用いられた家康が、後半では「狸」と表現されるように。
古沢氏は「一般に言われている通り、狡猾で腹黒い狸という風に外からは見える人物に変貌したということだと思います」と解説し、「本質はそうじゃないのに、それを全部捨てて、腹黒い狡猾な人間として生きて評価されていくという、そこがこの人かわいそうだよねというところにたどり着いたのだと思います」と分析した。
「『どうする家康』は今の僕にしか書けなかった作品」
最後の撮影の日に松本と話をして、「家康はかわいそうな人」ということで意見が一致したことも明かした。
「松本さんが『家康ってかわいそうですね』とおっしゃっていて、『そうですよね』と。ここまでかわいそうな人になるとは僕も思ってなかったです。天下を取ってかわいそうと思われる家康は今までないと思うので、自分でも思っていた以上に新しい家康像が出来上がったのではないかなと思いますし、そういう風に感じてくれる人が多ければ幸せです」
そして、「このドラマの家康は好きです。現実の家康を僕は知らないのでなんともわからないですが」と語った古沢氏。納得のいく家康像が出来上がったと手応えを感じていると言い、「大きな挑戦でしたが、やり切ったなとは我ながら思います」と話した。
約2年かけて家康の物語を書き終えた古沢氏。再び大河ドラマのオファーがあったらどの時代を舞台にどんな物語を描きたいという願望はあるのだろうか。
「いつの時代の何ということはないですが、本当に学びが多かった仕事で、大河で学んだことは大河でしか返せないというか表現できないと思うので、もしいつかもう1回チャンスをいただけたら、次はもっともっと上手にやれるという気持ちだけはありますけど、当分先でいいです(笑)。『どうする家康』は今の僕にしか書けなかった作品。力は出し切ったし、思い残しもありません」