フジテレビ系ドラマ『ばらかもん』(毎週水曜22:00~)が、きょう20日に最終回を迎える。挫折した若き書道家の主人公が長崎県の五島列島へ移住し、そこで出会った一人の少女や島民たちとふれあう中で、書道家として人間として大きく成長していく同作。

主人公の人間的な成長とともに、“書”の表現力も豊かになっていく様が視聴者の目にも分かり、それこそが本作最大のオリジナリティだが、最終回に待ち受けるクライマックスも当然、“どんな作品を仕上げるのか?”に焦点が当てられるものだと想像していた。しかし、このドラマが描きたかったのは、その先にあったようだ――。

  • 『ばらかもん』主演の杉野遥亮 (C)フジテレビ

    『ばらかもん』主演の杉野遥亮 (C)フジテレビ

■“書”は人間の生活に根差しているもの

主人公・清舟(杉野遥亮)が物語の中で残した“書”を振り返ってみると、今作が何を描きたかったのか浮かび上がってくる。

第1話は、五島列島にやってきた主人公が“書くことの喜び”を体感して書き上げた「楽」。第2話は、島の一員となるため一枚一枚丁寧に書き上げた「ゼッケン」。第3話は、島に来たからこそ表現できた“魚拓”の「鯛」。第4話は、これまでの経験を経て“書の神が降りてきた”「星」。

第5話は、“石垣”のように散りばめた「島民たちの名前」。第6話は、葬儀の大名行列でおくり主の名前を大きく書いた「旗」。第7話は、書道教室を開き子どもたちの練習紙を寄せ集めて表現した「心」。第8話は、なる(宮崎莉里沙)への誕生日プレゼント「なんでもいうこときくけん」。第9話は、自らの“清”の字をなるに渡した「白いTシャツ」。第10話は、店を畳もうとする酒店へ用意した「看板」。

これらの中で清舟の“作品”と呼べるのは、前半のターニングポイントとも言える「星」からの「石垣」が最後で、そこから後半へ進むに連れてより私的かつ身近で、生活に寄り添ったものへの書になっている。それは、このドラマが知られざる書の世界や面白さを“作品”という形で視聴者に見せ、啓蒙するためだけのドラマではなく、大前提として、一人の青年の人間ドラマを真摯(しんし)に描こうとしていた表れだろう。

また、“書”とは“書くこと”の延長で、人間の生活に根差しているもの。それを島民との何げないふれあいや体験を経る、それだけで、芸術家は人々を魅了する作品を生み出すことができる。この偉大さを、“身近さ”の中から浮かび上がらせるという、何とも難しいチャレンジをしていたのだ。

  • 杉野遥亮(左)と宮崎莉里沙 (C)フジテレビ

■島の「書道教室」という夢に自然と共感できる展開に

特に前回の「看板」は見事だった。それまでは、島での暮らしや島民たちから得たもので作品を生み出し、自らの成長と喜びにつながっていたのだが、この回は清舟自らが動いて「看板」を渡すことで、島民の心を動かす=酒店の娘・美和(豊嶋花)が、将来この店を継ぎたいと決意する…という形で、受け身だった主人公が誰かの心を大きく突き動かす側へと回り、それを表す小道具として、作品とは言い難い身近な「看板」を用いていたのだ。

そして序盤で想像していた、主人公はどんな書道家になるのか(どんな作品を生み出すか)という展開から、後半以降、清舟は「書くことは何か」を「自分とは何か」と捉えるように至り、自分にとっては島民たちと共存していくことこそが自分らしさで、なるを含む島民たちの成長も“書”を通して見届けたいという思いで、島の「書道教室」という夢へと転換していった。

この後半の展開は意外性がありながらも、身近なモチーフをもって表現された“書”によって自然に共感できる展開へと落とし込むことに成功していた。