6月29日に行われた東京ドーム公演をもって解散した“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのモモコグミカンパニーが、自身2冊目の小説となる『悪魔のコーラス』を7月21日に発売する。BiSH解散後、ワタナベエンターテインメントに移籍し、執筆活動など文化人として活動していくと発表したモモコグミカンパニーにインタビューし、BiSHとしての活動を振り返るとともに、執筆業への思いや今後の目標など話を聞いた。

  • モモコグミカンパニー 撮影:蔦野裕

――BiSHの活動を終え、新たな一歩を踏み出した今の気持ちからお聞かせください。

すごくポジティブな解散だったなと思っていて、メンバーそれぞれ自分のやりたいことに全集中できる環境に入って、それは良かったなと思います。ファンの人とのつながりが全くなくなったわけではないですし、BiSHの音楽は残り続けていくので、燃え尽きてロスという感じではないです。それはBiSHの活動をやり切ったからなのかなと思います。

――解散前にお話を伺ったときに、「東京ドームがどんな意味合いを持つかはその日の醍醐味でもある」とおっしゃっていましたが、実際に東京ドームに立っていかがでしたか?

最初は緊張しましたが、ここで緊張していたらもったいないなと。東京ドームが清掃員(BiSHのファン)で埋められていて、みんなBiSHを見に来ていると思ったら、今まで通り自分のままでいようと、そこからは背伸びしないで自然体でできました。

――BiSHとしての約8年間はもちろん今後の活動の糧に?

そうですね。BiSHはライブを中心に活動してきましたが、ステージからいろいろな人の涙や笑顔を見てきて、すごく生々しい8年間だったなと思っています。歌詞に自分たちの言葉を落とし込んで、生の感情を叫んでいましたし、ソロパートが多かったので自分の声で勝負していて、そういう意味でもすごく生々しい8年間でした。

――BiSHとして活動してきた中で、ご自身はどう変わったと感じていますか?

解散が大きかったなと。3年前ぐらいから解散の話は私たちの耳に入っていて、人生を捧げてきた自分のすべてであるBiSHがなくなって、これから私はどうやって生きていけばいいんだろうとすごく考えさせられました。そして、将来を考える中で小説に挑戦したいと思い、自ら出版社に送って1冊目を出せることに。小説は雲の上の存在の人が書くものだと思っていましたが、一番怖いものに手を出し、自分の道を一歩踏み出すことができました。

――解散がきっかけとなって小説家としてやっていきたいという勇気が出せたのですね。

そうです。BiSHに入ってから、こんな私でもステージに立つと涙を流してくれる人がいたり、BiSHやモモコグミカンパニーを糧に生きている人がいて、1人ぽっちで生きているという感覚がありませんでした。小説2作目はハードスケジュールの中、解散間近のときに書いていたのですが、1人で生きていない感覚が原動力になって頑張れたと思っています。それはBiSHの活動と本当の自分がかけ離れてなかったからで、限りなく素に近い自分の言葉でしゃべっていたので、お客さんも真正面でぶつかってきてくれて、そういうお客さんの笑顔や涙が体に染み込んでいるので、解散後も頑張れそうだなという気がしています。

――素でやっていたからこそ、ファンの方の思いなどがそのまま自分のパワーに。

生身でぶつかっていった8年間だったので、傷ついたり辞めたいと思ったこともありましたが、それ以上に、お客さんも一緒に生きているという感覚が支えになりました。そして、周りのメンバーが個性を生かして頑張っている姿を見て私も頑張りたいという気持ちになれたので、自分にとって本当に大切な8年間だったなと思います。

――個性豊かなメンバーの皆さんの中で、ご自身は作家という道に進もうと。

やりたいことを口に出して貪欲にやっているメンバーを見ると、自分も好きなこと好きと言っていいんだなと。言葉を武器にして生きていきたいと思えるようになりました。

――自分にとって言葉が大切だと感じるようになったのはいつ頃でしょうか?

私は英語の曲を聴いていても全部日本語で意味がわかっていないと気持ち悪いですし、毎日日記を書くことが当たり前だと思っていましたが、BiSHのメンバーに会ってそれは当たり前ではないと気づき、ということは私はすごく言葉が好きなのだと。ダンスや歌を自分の感情表現にしている人がいると知ってから、自分は言葉で表現していきたいのだという輪郭がはっきりしました。

――BiSHでは作詞でも才能を発揮されましたが、作詞のやりがいは大きかったですか?

大きかったです。「JAM」という曲の歌詞は、心をさらけ出して自分が本当に書きたいことを書いたのですが、その曲を初めて人前で披露したときに本当に感動し、言葉に表せないような人生初めての感情になりました。自分は言葉を届けることがやりたいことなんだなと、すごく腑に落ちるところがあって、その瞬間のことは今でもすごく覚えています。