――後のAKB48では到底考えられないエピソードですね(笑)。それから少しずつお客さんが増えていったんですか?
そうですね。ファンの方の口コミで少しずつ増えていくって感じでした。
――駒谷さんの地下アイドル時代のファンの方も公演に来られていたんですか?
最初の頃、来てくれてましたね。すごく熱心に応援してくれていた方が一人いて、「地上に上がったんだね。頑張ってて良かったね」みたいに言ってくれてたんですけど、気づいたらライブ中、私のこと見てないなって。いつの間にか、たかみな(高橋みなみ)のファンになってたんです(笑)。そのあと、握手会で会うと、ちょっと気まずそうにしてくれてましたけど、別にしょうがないっていうか。
――それを責めるのは違うと。
そうですそうです! たぶん公演中に目があって好きになっちゃったとかだと思うんですけど、推し変とか普通にあるじゃないですか。
■18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代
――AKB48の人気が高まっていくなかで、生活に変化はあるものですか? 街中で声をかけられるようになったとか。
最初の頃は全然なかったですね。むしろ、こっちがファンの方を見つけたり(笑)。当時、小嶋陽菜と一緒に、さいたま新都心で遊んでたら、劇場によく来ている人を見つけたんです。「あっ、あの人だ!」とか言ってたんですけど、「私たちが見つけてる場合じゃない。普通、逆じゃない?」って、だんだん悔しくなってきて、2人でその人の目の前をウロウロするんですけど、全然気づかれない(笑)。「ダメだ! もう諦めよ!」って(笑)。
――これも後のAKB48では到底考えられないようなエピソードですね(笑)。
AKB48がバーンとブレイクしたのは私が卒業した後でしたし、当時からメディアに出る子たちは忙しかったけど、私の活動は劇場が中心だったので。劇場公演に出ていると、新しく公演が始まったら、1カ月くらいレッスンがあるんですよ。まずそれだけでスケジュールが取られるし、公演が始まったら毎日公演が続くし、「AKB48も人気が出てきた」みたいに思うこともなくて、バタバタしてたイメージしかないですね。
――駒谷さんは19歳でグループを卒業しました。年齢的にも随分早かったように思うのですが、卒業を決めた理由を聞いてもよろしいでしょうか?
今って、アイドルの寿命が延びてるじゃないですか。例えば、25、26歳でも若いと言われるけど、私たちの時代って18歳でもオバサン扱いだったんです。18歳で「ツインテールなんてもう恥ずかしいよ……」みたいな話をする時代だった。年下の子がどんどん出てくるなかで、私が選抜組に入っていて、メディアにもたくさん出ていたら、卒業は考えなかったと思うんですけど、劇場の守り神チームだったんで(笑)。
「下も詰まってきてるし、もういいかな。このまま続けててもな」って、自分の中で葛藤がすごくあって、一人でタレント活動をしてみたいっていう気持ちもあったときに、その後に所属した事務所とのご縁もあったので、そのタイミングで卒業を決めました。
駒谷仁美(こまたに・ひとみ)
1988年12月16日生まれ。2005年、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格。同年、オープニングメンバー候補生として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った。2008年、AKB48を卒業。その後、女優・タレントとして、舞台を中心に活動。2011年、SDN48に3期生として加入。翌年、NHKホールで行われた公演をもって、SDN48を卒業した。2020年より、ライブ配信アプリ「17LIVE」でイチナナライバーとしても活動している。