『さよならテレビ』(東海テレビ)と『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ)。ドキュメンタリーとドラマでジャンルは異なるものの、“テレビ報道”の裏側を描くというタブーに切り込んだ自己批判の姿勢に、業界内外で大きな反響があがったが、それぞれのプロデューサーを務めた阿武野勝彦氏(東海テレビ)と佐野亜裕美氏(カンテレ)は、互いの作品に強く励まされていたという。
今回、そんな2人の初対談が実現。全4回シリーズの最終回は、阿武野氏がプロデュースし、現在公開中の東海テレビドキュメンタリー劇場最新作『チョコレートな人々』の話題から。「思い出しただけでも涙ぐんでくる」という佐野氏は、この作品をどう受け止めたのか。そして、阿武野氏が込めた思いとは――。
■『ヤクザと憲法』でも覚えた感覚「これ、映してもいいんだ」
――東海テレビドキュメンタリー劇場の最新作『チョコレートな人々』ですが、佐野さんはご覧になっていかがでしたか?
佐野:映画として「正しいもの」を提示しているわけじゃないということは理解しつつも、最近自分が考えている「人間の価値」っていうこととか、渡辺あやさん(『エルピス』脚本)とも散々話してきた「システムが人を殺す」っていう問題に関して、1つのすごく強い答えをもらったなというのが正直なところです。いつも「やりたいことは何ですか?」とか「伝えたいテーマは何ですか?」と聞かれるたびに、「私自身は伝えたいことややりたいテーマがあるわけではないのですが、作家さんがやりたいことを視聴者に届けるための架け橋としてプロデューサーという存在があります」って言ってたんですね。でも、果たして本当にそうなんだろうか、自分が作ってきたものの中に共通したテーマとか根底に流れるものはないだろうかということを『エルピス』を終えてから改めて考えてたんです。そのときに、人間の価値を問うというか、すべての人に価値があると信じられるドラマを作りたいと思い続けてきたことに気づきました。『エルピス』の最初の企画書には「“価値なき者”たちの逆襲」と書いたんですけど、テレビ局の中で低く見られがちな場所にいる人たちの価値を問うということをやりたかったんです。
その「人間の価値」というところで、『チョコレートな人々』の夏目さんは、(障害などを抱えている人に)配慮したいのではなく、そこでみんなでやるっていうことが大事なんだと。「システムが人を殺す」と言いましたけど、「人のためにシステムを作る」ということを、絵空事ではなく、実際にやっている人の姿っていうのが、こんなにも強くて、そんな言葉は使われたくないんだと思うんですけど、本当に美しいなと思ったんです。その答えを提示してもらったという気持ちでいっぱいで、最初から最後まで素晴らしいとしか言いようがなくて。ちょっと思い出しただけでも涙ぐんでくるのですが、びっくりしました。
――特に印象に残ったのは、どんな場面でしょうか?
佐野:一番すごいなと思ったのは、若い頃の夏目さんが、ある方を雇えなくなってしまったときに、その方のお母さんに「もっと大人になってください」と言われたシーンで、「これ、映してもいいんだ」とびっくりしました。私、『ヤクザと憲法』(※)が大好きなんですけど、あのときの衝撃とわりと似たような感じがあって、私から見たら、「この素晴らしい活動をしている本当にすごい人が、ああいう言葉を言われてしまう。どっちが正しいとか、悪いとかそういうことではなくて、その現実がやっぱりドキュメンタリーなんだな」と思いました。つまり、そのままの形で映し出されて、本当に見る者に委ねられたなと。そこから改めて、阿武野さんが今までやってこられているドキュメンタリーは、とにかく観客に信頼を置いているんだということを思いました。
『エルピス』でも、渡辺あやさんは、例えば村井(岡部たかし)という人のセクハラ・パワハラを肯定するわけでも否定するわけでもなく、「こういう人なんだということをやりたい」と言われて、私は最初、いまいち分からなかったんです。でも、『チョコレートな人々』を見て、渡辺さんがずっと言っていた、人間について、社会についての言葉が「こういうことだったんだ!」と、それが答え合わせになったような気持ちで拝見したんです。もう「本当に全員見て!」って思いました(笑)
(※)…大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」に密着取材した東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾作品。
阿武野:ドキュメンタリーは、映した時点ですべて過去になるけど、過去になった映像を作品化すると、未来を見据えようというものになると思ってるんです。佐野さんがおっしゃった雇えなくなった方というのは、夏目さんがパン屋を経営していた時代に途中で辞めたのは美香さんという人なんですが、彼女のその後を取材しているのを夏目さんが知って、「どうしてコソコソ取材を…」と。マイナスの過去をほじくり返されることに憤ったんだと思います。しかし、すぐに夏目さんは、ありのままの姿を映してほしいと言うんです。「自分を見つめ直すために、いい機会になった」と言ってくれた。過去を大切にしながら、未来を見据える、そういう人だなと思いましたよね。
■“障害者モノ”ではなく、社会のありようを照射したい
阿武野:『チョコレートな人々』は、上映も中盤を越えたんですけど、映画の興行としては苦戦しています。これは今の社会を表してるなと思ってるんです。いわゆる“障害者モノ”というふうにくくられちゃうんですよ。テレビドキュメンタリーがずっと“障害者モノ”とくくられるようなものを拡大再生産してきたからなんでしょうね。登場人物は違うけど何だかステレオタイプで、番組の最後に感動的な音楽がかかって、いい人しか出てこないみたいな。『チョコレートな人々』はそうじゃないんだけど、やっぱり“障害者”ってワードが出た途端、今の日本の社会ではそういうふうにレッテルが貼られてしまう、当事者意識のない人は見なくていいみたいな感じで、入り口が狭められてしまった。僕は、夏目浩次という人の生き方を通じてこの社会のありようを照射したい。もう一つは、「働き方改革」じゃなくて、経営者がちゃんと「働かせ方改革」を考えるときなんじゃないかという思っているんです。
今「SDGs」っていろんなとろでやってますけど、僕の感覚で言うと、テレビ局は、大量生産・大量消費の権化なわけです。そこは自覚して、何かの活動するとき恥じらいを持たなきゃダメだと。だから、「SDGsのために作った番組です」みたいに前に出されるのはイヤなんです。テレビの中にも、こういう表現活動をする人たちがいる、と思ってもらえれば、巡り巡って信頼につながると思うんです。
佐野:例えば『ヤクザと憲法』って、すごくキャッチーなタイトルじゃないですか。でも、『チョコレートな人々』っておととしの民放連賞のグランプリだったので名前は知ってたんですけど、そのタイトルから作品のイメージができなくて、自分の中でもそのままになっちゃってたんですよ。映画として苦戦してるということを今お伺いして、情報が多くなりすぎた今、そこで引っ掛からないと自分の中を通り過ぎてしまっていたことに、反省しました。