――新人俳優として関わられた半田さんが、1年間という長い撮影を乗り切る自信がついたのはいつごろでしたか。

乗り切る自信というものではなくて、最初から1年間やらなければいけないという覚悟はしていました。最初は不安でしたけど、人間は慣れる生き物なので、3か月くらい経つと不安も薄れていきました。キャスト、スタッフみんなと仲良くなって、余計な心配をしなくなってきたのもあります。宮崎剛アクション監督から初期のころに「最初は気が重いかもしれないけど、3か月頑張ったら体が慣れて、半年も過ぎたら残りの撮影があっという間に終わっちゃうから頑張って」と激励してくださったんです。まさに残りの半年がそんな感じで、宮崎さんのおっしゃるとおりでした。

――特に夏場は劇場版とテレビシリーズが同時進行していたでしょうから、とんでもなく忙しかったと思います。

劇場版の撮影が5、6月から始まったあたりから、時計が早くなったんじゃないかってくらい、あっという間に過ぎていきました。だから後半どんな撮影をしたのか、今では記憶があいまいになっています。

今インタビューであのころの思い出を聞かれても、第25話より前の話ばかり(笑)。後半だと、芝居のスキルも上がっているんですけどね。さすがに巧、草加、三原修二(演:原田篤)の3人変身は大事なシーンでしたし、最終回のときなんて「これが最後だ」と思いながら臨んでいましたので、終わったときは感慨めいたものが残っています。

とにかく最初から最後まで怪我や病気をせず、周囲の方々に迷惑をかけずにやりきろうとしていましたから、ラストカットを終えるまで安心してはいけないっていう気持ちでした。オールアップを迎えたのはスタジオでの合成カットで、他の方は花束をもらって泣いているのに、僕だけは涙もなく、普通な感じで……。お前には感情がないのかと言われそうでしたが、まだ気が抜けなかったし、泣いている余裕がなかった。後になってから映像を観直すと、最初のころと最終回とでは、明らかに僕の顔つきが違っているのがわかります。あの当時から、1年間を通じてひとつの役を演じさせてくれるドラマはなかなかありません。本当に『555』に出演できてよかったと思っています。

――半田さんは『555』の後も、『仮面ライダー大戦』『仮面ライダー3号』などに乾巧役で出演されていますが、久々に東映東京撮影所にいらっしゃったとき、懐かしいスタッフの方々と出会ったりしましたか。

まさに、そういった再会を期待して東映に行くんです(笑)。撮影所は古巣という気分で、今はもう懐かしい思い出でいっぱいです。つい先日撮影所へ行ったときも、昔『555』のキャスト控室があったスタジオの一室に入って、あのころはここでバスを待ってたなあと思い出していました。「3時間後にロケバスが来るから、ここで仮眠して」なんてこともありました。家に帰れなくて、撮影所に泊まったこともあります。

2話を10日で撮るスケジュールの中に、1日「撮休」があるのですが、この日に必ず雑誌の取材を入れていただいて(笑)。365日でまるまる1日休みだった記憶がありません。早朝ロケが午前中に終わって、帰っていいよと言われた日くらいしか、息抜きが出来なかったんです。

――2015年に35歳の若さでこの世を去った、木場勇治役・泉政行さんの思い出を聞かせてください。

泉くんとは、最初のころはあまり共演シーンがなかったのですが、夏ごろの撮影からは毎日のようにご一緒することが多くなりました。4つ歳上で、僕にとって「親戚筋の気のいいお兄ちゃん」のような存在でした。すごく付き合いやすい先輩で、明るくて、くどくなくて、特にヘンなところもなく(笑)。あ、ちょっと酒グセは悪かったかもしれません。自分でも酒好きだって言ってましたね……。

――半田さんは当時未成年でしたから一緒に飲むことはなかったと思いますが、泉さんやスタッフさんはよく飲まれていたのでしょうか。

それはもう、スタッフさんはすごかったですよ。特にカメラマンの松村文雄さんなんて酒が大好きで、ものすごく強い人でした。九州から東京へ向かうフェリーの中で撮影したとき、すごい大荒れの天候で、あまりにも船が揺れるからみんな酔ってしまい、ダメだ~ってなっているとき、松村さんだけ「俺?酔ってるよ、酒で」なんて言ってる(笑)。カメラ関連の方たちはみな三半規管が強いようですね。

――『555』から20年、もし現在の半田さんが新しいヒーローを創造するとしたら、どんな作品を目指したいですか?

僕が作るなら、頑張らないヒーローかな(笑)。ふざけているようで真面目な答えなんですけど、ヒーロー作品につきものの「善と悪」さらに「敵と味方」という分け方を崩すことができないかなと思っているんです。乾巧のような自己犠牲のヒーロー像ではなく、自分らしく生きていて、なおかつヒーローであるという。自分らしさをまっとうできるヒーロー像を打ち出せないかなと考えています。僕自身、子どものころからヒーローと敵が争う番組が好きじゃなくて、どちらかといえば『楽しいムーミン一家』のような平和な作品を愛していました。そんな僕の頭の中にあるヒーロー像こそが「頑張らないヒーロー」そして「誰も傷つけないヒーロー」。そういうヒーローを生み出すことができるのなら、何らかの形で取り組んでみたいですね。

(C)石森プロ・東映