実朝が義盛に心を許した理由については「実朝は鎌倉殿として幕府で君臨していかなきゃいけないけど、自分には力がないし、パーソナルな部分でも悩んでいます。ずっと下を向いていて、どうしたらいいのか分からない。できれば抜け出したいけど、それもできないと思っているなかで、やることは荒々しいけど純粋なところがある義盛といると落ち着くし、楽しいと思ったのではないかと。実朝は争い事が大嫌いな将軍で、人を傷つけることが本当に嫌な人だったと思いますが、義盛も誰かを陥れようとかは一切考えてない人だったから、そういうピュアなところが共鳴したんじゃないかと思いました」と分析する。
そして、義盛の最期について「本当に役者・横田栄司として見てもあっぱれでしたし、カッコよかったと思いました。まさに横田栄司さんの役者魂を見せつけられたし、実朝としても彼の最期をちゃんと受け取りました。なんて言っていいのかはわかりませんが、壮絶ですごいシーンになったと思います」と心から称えた。
今後実朝は、ますます自身の名付け親である後鳥羽上皇(尾上松也)に心酔していくことで、鎌倉に一波乱が巻き起こっていく。後鳥羽上皇は「京と鎌倉をつなぐ“実(さね)”となってもらおう」ということで「実朝」と命名したが、柿澤は「実際にそうだったのかどうかはわかりませんが、僕は台本を読んで、そうだったんだ! と思いました」とのこと。
「当時は後鳥羽上皇という京の人が名付け親になってくれることは珍しかったと思います。そして、偉大な父親である源頼朝の子として生まれ、すごくコンプレックスを抱いていたであろう実朝は、もちろん頼朝のように振る舞いたいけど振る舞えない。また、兄の頼家ともまともに話したことはなかったはず。実朝にとって、父親が一番欠けている存在だったから、名付け親となった後鳥羽上皇のことを父親のように慕うというか、彼の手腕を手本のように見てすごく影響を受けていったと思います。自分に力がなかったからこそ、後鳥羽上皇の力を借りて、京との関係を深くしていったほうが、得策だと考えたのではないかと思います」
柿澤と、後鳥羽上皇役の尾上松也との名シーンもきっとこの先に用意されているはず。悲運の将軍、源実朝の見せ場はまだまだありそうなので、今後も大いに期待して待ちたい。
1987年10月12日生まれ、神奈川県出身。2007年に劇団四季の舞台『ジーザス・クライスト=スーパースター』で俳優デビュー。主な出演舞台は『スリル・ミー』『スウィーニー・トッド』『デスノート THE MUSICAL』『サンセット大通り』『フランケンシュタイン』など。2011年に『ピースボート -Piece Vote-』でテレビドラマ初出演、同年『カイジ2』で映画初出演。映画の近作は『すくってごらん』(21)、『鳩の撃退法』(21)など。大河ドラマは『平清盛』(12)、『軍師官兵衛』(14)に続いて『鎌倉殿の13人』で3度目の出演。
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