9月14日付でフジテレビを退社し、同16日に生配信された『RIZIN』の記者会見で、フリーになったことを報告。鈴木アナが『RIZIN』に復帰することに対する歓喜とともに、涙をこらえきれず話す姿に反響が集まった。
「あの涙は、フジテレビに対する感謝の気持ちもありましたが、やはり一番は、外に飛び出すときに不安を抱えていたところ、今後の仕事に向けて相談に乗ってくれて、それを1つ1つ解消してくれた榊原さんに対する感謝の思いがあふれて出てしまったということですね」
また、9月25日に行われた『超RIZIN』でRIZINの実況に復帰した際も、感極まって涙する場面があった。そのときのことを思い出し、また涙をこらえながら振り返る。
「僕はファイターじゃありませんし、本来目立つべき存在ではないので、すごく申し訳ない思いがあるんですが、あそこで紹介していただく形になって力強く礼をして、また戻ってきたということを皆さんにお見せしたいなと思っていたんです。報告の会見もそういう気持ちで、最初は力強くしゃべって、力強く締めくくりたかったんですけど、泣いてしまいまして…。試合会場で泣いてしまったのは、僕が紹介されたときの観客の皆さんの拍手です。会場の拍手って、ヘッドホン越しにはあまり聴こえないんですけど、あのときは耳に入ってきたんです。だから、観客の皆さんの思いに涙が出ました」
4カ月ぶりとなった復帰の実況は、「本当にここにまた来られたんだという驚きもありましたが、自分が思い切って外に出たことで、今まで当たり前だと思っていた景色がまた戻ってきたことに対する不思議な気持ちがありました」といい、そのため、「心の中がふわふわしてしまって、あのときの実況に関しては全然ダメです」と反省した。
■格闘技との出会い…祖父と見ていたアントニオ猪木
フリーの報告会見で印象的だったのは、「ただ、『RIZIN』を実況したい。格闘技を実況したいという気持ちは、愛は、止められませんでした」という言葉だ。そんな鈴木アナが感じる格闘技の魅力とは何か。
「いろんなスポーツがある中で、戦うっていう行為を純粋に表現できているのが格闘技だと思うんです。どの競技も素晴らしいと思いますが、例えばボールにバットを当てるとか、ボールを蹴るとか、まずボールを通しての技術というものが必要になるじゃないですか。でも、格闘技の中に存在するのは、相手に当てる技術や、相手を捕まえる技術で、直接相手に対して働きかけられる。それによって、怒りや野望という感情を体現できるから、見ていて気持ちいいですし、グッとくるものがあるんです」
格闘技との出会いは、幼少期に祖父のあぐらの上で見ていたプロレス中継。「アントニオ猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントなんて、あまりにも体のサイズが違うのに成立するんだという驚きもあったし、血まみれになってプロレスラーが魂むき出しになっている感覚を覚えて、人間が勝ちたいという思いを遂げるために、その感情を体に連動させて、お互いに歯を食いしばりながら戦っている姿が忘れられないですね。だから『北斗の拳』も好きで、ケンシロウとラオウの戦いにも、そういう魅力があるんです」
ただ、「自分には戦うことに素養がない」と自覚し、プレイヤーになるつもりはなかったという。その後、90年代に『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象を起こすと、テレビの力を感じ、プロデューサーなどの制作者志望に。しかし、高校3年生のとき、周囲の人たちから「プロデューサーよりアナウンサーのほうが向いてるよ」と口々に勧められ、テレビ朝日で深夜に放送されていた『ワールドプロレスリング』を録画して、見よう見まねで実況してみたところ、「動きに対して面白いように反応できて、言葉がバンバン出てきたので、これを生業(なりわい)にしようと思いました」と、将来の進路を定めた。
『ワールドプロレスリング』の実況と言えば古舘伊知郎の“古舘節”で、鈴木アナにとって「どのアナウンサーよりも、心象風景に刻まれているんです」という存在。その次の看板となったのが辻義就(現・辻よしなり)アナで、「辻さんの後に続きたいと思ったので、辻さんがいらっしゃった慶應義塾大学の放送研究会に行こうと思って、1年浪人して入ることができて、辻さんにもお会いすることができました」という。
しかし、就活で第一志望のテレビ朝日はスタジオ面接で不採用。プロレス中継のないテレビ東京でも「いつか放送されるときのために、入りたいです」と堂々思いをぶつけたが、結局テレビのキー局はすべて落ち、何とかラジオ局のニッポン放送に入社することができた。