――これまで『笑っていいとも!』の黎明期というフジテレビ黄金時代のお話を伺ってきましたが、近年はメディア環境の変化もあって、苦境に立たされています。ぜひ、先人の皆さんからエールを送っていただけましたら。

小林:前提としてあるのは、僕らが『いいとも』を作った1982年の頃と比べると、この2022年というのは、BPOとか作り手の側で気をつけなきゃいけないことがたくさんありすぎて、俺たちが無責任に言っても、今じゃできないことがあると思うんですよね。でも、あえて言うならば、テレビの隙間をうまく突いて面白い番組を作ってるのは、テレビ東京だよね。少し前だけど、池の水を全部抜いたら何が出てくるのかとか、空港に来た外国人に「何しに来たんだろう?」って興味を持って、それを具現化してるじゃないですか。視聴者と同じ目線に立って、日常の生活で疑問に思ったことを番組にしてるから、みんな面白いと思って見てくれてると思うんですよ。フジは、どちらかというと番組を作ろうという気持ちが先走っちゃって、スタジオを盛り上げようという意識が強すぎて、ゴージャスなバラエティを見せられても「画面の向こうの人が盛り上がってるんでしょ」って冷ややかに見られちゃうところがあると思うんですよね。だから面白いことを見つけて、番組にして、それを編成がチョイスできるかどうか。良いときを経験してる編成マンって「これ数字いくつとるの?」「どっかでやってる?」とか実績を求めちゃうんですよ。会社が大きくなると、どうしてもそう考えてしまうんだけど、編成側も面白がって「やっちゃえ! やっちゃえ!」ってなると、いいんじゃないかな。

――今回の座談会の中でも出てきた、タモリさんや横澤(彪プロデューサー)さんのイズムですね。

小林:そうそう。BPOやコンプライアンスに抵触しないということであるなら、もっと冒険することが必要なんじゃないかなと思います。

永峰:僕はある意味テレビ局の外に出ちゃった人間なんで、BPOとかいろんなところとうまくやっていかなければならないのは大変だなと思います。クリエイターはそういうのに関係なくできるのが本当はいいと思うので、なかなか難しいですよね。

吉田:『いいとも』が始まって40年になりますけど、前半の30年はテレビ界ってフジと日テレが、競争の激しい時代でした。フジが12年間1位で、その後日テレが10年、またフジが7年で、その後また日テレになるんですけど、2010年代になると何がトップで何がトップじゃないって価値観が壊れてきたから、なかなか難しい時代になったなというのが1つ。それと、先だってフジテレビで50歳以上の早期退職がありましたが、有名な人たちが辞めて「もったいない」って言う人もいるけど、こういうことでもしないと若い人にバトンが渡らないんだから良い点もあったと思います。今20代の人が抜てきされているのは良いことだなと思います。かつての『ひょうきん』や『いいとも』の現場の人たちの成り上がっていく感性を、今の若者が持ってくれるといいんじゃないかな。

小林:もちろん歴史とかも大事なんだけど、世代が代わって上を乗り越えていかないとね。フジも低迷してずいぶん時間が経ってるわけだから、そろそろ「きてるね」「とんがってるね」と言われるような乱暴者、冒険者の番組を見てみたいなあ。

吉田:暴れ者が活躍するためには、いい猛獣使いがいないといけないんですよ。横澤さんのカウンターパートとして村上光一さん(後のフジテレビ社長)が編成にいて、現場では横澤さんが小林さんや永峰さんのような人たちの猛獣使いになってたんです。下から見てると、「仲良くしてよ~」って思うんだけど(笑)、そういうゴツゴツした競争の中で、やっぱり面白いものが生まれるんですよね。

■乱暴な考え方が原動力になっていた

――フジテレビはこの10月の改編で、深夜にクリエイター育成やコンテンツ開発の枠をかなり増やしますが、こうした動きはどうでしょうか?

吉田:やっぱり深夜でいろいろ実験したほうがいいですよね。昔のフジテレビは、総制作費のうち、深夜予算が1割くらいあった。それくらい、開発というものにお金をかけていたんです。どこのメーカーでも研究所があって、車メーカーだったら「次の夢の自動車はこれです」っていうのを発表するわけじゃないですか。そういうことをしっかりやってもらいたいなという期待を、港(浩一)社長にしています。

小林:昔は「夜の編成部長」っていうのがいて、そのときのラインナップは面白かったですからね。あんまり年齢のことは言いたくないけど、やっぱり若い人の発想っていうのは、すごく力があるんですよ。年齢を重ねると「こういう番組ってウケなかったよなあ」とか「5%くらいはとれるかなあ」ってどうしても安全パイに考えちゃう。『笑っていいとも!』ができた頃のフジテレビは、「外したら外したでいいじゃない」っていう乱暴な考え方もあったけど、それがやっぱり原動力だった。今すぐにそれを目指せっていうのは難しいかもしれないけど、若い人たちに自由に作らせる機運、それを吸い上げる編成マンの観察力を養わないと。特に、『いいとも』をやっていた我々としては、お昼の番組はそういう気持ちでもう1回作ってほしいなあ。

●小林豊
1951年生まれ、静岡県出身。専修大学卒業後、74年に制作会社・フジポニーに入社。80年に制作部門を復活させるフジテレビジョンに転籍。『欽ドン!』シリーズや『笑ってる場合ですよ!』『笑っていいとも!』『ライオンのいただきます』『所さんのただものではない!』などを担当し、92年営業局に異動。営業局長、スポーツ局長、取締役を経て、09年から19年までテレビ静岡社長を務めた。21年に旭日小綬章を受賞。

●永峰明
1954年生まれ、東京都出身。制作会社・フジポニーにアルバイトから入り、80年に制作部門を復活させたフジテレビジョンに転籍。『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『冗談画報』などを担当し、89年に退社。フリーの演出家として活動し、東京NSCの講師、『キングオブコント』の審査員も務める。13年からワタナベコメディスクールの講師を務め、同事務所のライブの監修を行い、芸人育成を担当している。

●吉田正樹
1959年生まれ、兵庫県出身。東京大学卒業後、83年にフジテレビジョン入社。『笑っていいとも!』『夢で逢えたら』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『笑う犬の生活』『ネプリーグ』『トリビアの泉』などを制作し、編成制作局バラエティ制作センター部長、デジタルコンテンツ局デジタル企画室部長も兼務。09年にフジテレビを退職、吉田正樹事務所を設立し、ワタナベエンターテインメント会長に就任(現職)。