――EXILEを卒業し、現在はソロ活動に専念されています。EXILEの活動と並行してソロ活動をしていた頃に比べて、心境の変化は?
ありましたね。EXILEはグループとしての表現なので、自分が作詞・作曲に携わるときもEXILEっぽさをイメージしていて、バラード以外はパフォーマンスを考えて曲を作ることが多かったです。ソロになって単純に自分が表現したいものを作る経験ができました。また、EXILE がそういう制作の仕方だったからこそ、逆にソロではバラードが多くなったり、自分の中でバランスをとったりもしました。言葉が正しいか分かりませんが、そういうことをしなくてよくなり、思うがままに作れるようになりました。
――EXILE在籍時のソロ曲と、卒業後のソロ曲で作風に違いはありますか?
よりポップに、聴きやすさなどを意識するようになりました。EXILEにいた頃は、ソロでは変化球を投げたくなる気持ちがあり、EXILEではやってないブラックミュージックっぽいことをやろうとしたり、EXILEとのバランスを考えていました。グループを卒業したことでそれがなくなり、より聴きやすく、フリーダムにやったら、自分の根底にはJ-POPっぽさと聴きやすさを重視してることに気づきました。肩の力が一つ抜けたのかなという感じがします。
――ソロアーティストとして、今後思い描いている将来像を教えてください。
日本人の平均寿命はだいたい80歳と考えたとき、僕は40歳になったときに「折り返したな」と強く思いました。60歳まで元気に歌えて毎年ツアーができてもあと20回。アルバム毎年出せても20回。プラス、60歳以降に今まで通り健康で元気な声が出るのかわからない。病気になるかもしれない。常にそれを意識して後悔のないようやっていきたいと第一に思います。そして加山雄三さんみたいに、80歳になっても元気で歌っていらっしゃる姿を見るとカッコいいなと思います。けれど、コロナ禍になって妹や甥っ子、姪っ子、両親と食事できる時間がかけがえがない時間になり、周りを見渡して、自分も家族を持ってみたいなとも思うようになりました。
――そうなんですね。
ぜんぜん予定はないですけど(笑)。そういう意味で言うと「ステージで死にたい」「死ぬまで歌っていたい」という気持ちは以前ほど強くはなくなったかもしれないです。1人の人間としての幸せや、いつ何があるのかわからないこの世の中で、ささやかな幸せだとしても、人生の中でできるだけ多く感じられたら、それは幸せな人生なのかもしれないなと、特にコロナ禍の1、2年で強く感じました。できる限りは、コンセプトアルバムを作ったり、海外挑戦したり、ツアーもやりたいです。いつかピアノとギターの両方あるいはいずれかで、綾戸智恵さんみたいに楽器1つでライブを成立させ、全国のホールを回ってみたいです。
1980年4月30日生まれ、埼玉県出身。2001年、EXILEとして活動を開始。2006年よりEXILEの活動と平行してEXILE ATSUSHIとしてのソロ活動を開始し、2011年にEXILEのシングル「Rising Sun」に同時収録された「いつかきっと…」にてEXILE ATSUSHI名義でソロデビューを果たす。2016年にソロとして初のドームツアーを開催。2016年10月から2018年2月上旬まで米国留学を敢行。ソロ活動に専念するため、2020年11月2日をもってEXILEを卒業した。