――指導者への道を女子チームのJXサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)で歩み始め、女子代表も率いた中で何を最も心がけたのでしょうか。
いろいろなことが起こりましたし、何が一番なのかはよくわかりませんが、同じミスが繰り返されることが私はあまり好きではないんですね。なので、選手たちには一生懸命に勉強して、注意されたらアジャストしてほしいとは常に言ってきました。
――指導者になる前にはIT企業に勤務し、副社長も務められました。そのときの経験で、いま現在に生かされているものはあるのでしょうか。
組織のマネジメントと指導のコーチングはだいたい一緒だと思っています。企業も代表もチームを作らなければいい仕事はできません。しっかりとしたチームを作るには目標やルールを定めて、この中でいい仕事をしましょう、となりますよね。私が勤めた会社は規模が小さく、部下も辞める直前は25人ぐらいで、最初のころに至っては10人ぐらいでした。しかし、ESPNやウォルマートなど取引先は大きかった中で、例えば朝の遅刻は厳禁といったルールを設けました。女子代表でもオフェンス、ディフェンスの両方で本当に数多くのフォーメーションを作りましたし、細かいことを言えばペイントエリアではバウンズパスだけといった具合に、小さなルールも作っていました。
――その中で生まれ、今回の著書でも紹介された24の魔法の言葉で、最も伝えたいものをひとつあげるとすれば何になるでしょうか。
一番はこれと定めるのは難しいですね。すべて大事ですけど、私自身はタイトルの「チャレンジング・トム」が一番気に入っています。人生はとにかくチャレンジなので。女子代表でも例えば朝の練習で新しいフォーメーションを2、3個教えて、午後の練習でもそれらを忘れないようにチャレンジしていく。チャレンジするから自信も膨らむし、選手の力も伸びていく。その過程ではコミュニケーションも大事ですよね。コミュニケーションがなければ、どんなにいいフォーメーションを教えても無視される。コミュニケーションがあったから、みんなが私を信じてくれた。指導者によって目指すチームの形は異なりますけど、私の本を読んでくれてほんの小さなことでも勉強や気づきにつながり、日本のバスケットボールのレベルが上がっていけば、こんなにうれしいことはないですね。
――チャレンジし続ける姿勢の原点は何なのでしょうか。
私は5人兄姉で一番下なんです。兄と姉が2人ずついて、しかもあまり優しくしてくれなかった(笑)。何かをやりたいと思えば、兄や姉よりももっと、もっとチャレンジしなければいけなかった。若いから、小さいから負けた、とは言われたくなかったんですね。そういう気持ちを、今も抱き続けていると思っています。
――28歳でNBAプレーヤーになったのも、チャレンジし続けた結果ですよね。
年齢的にはちょっと遅かったんですけど、子どもの時からNBAプレーヤーになりたいとずっと思ってきたので。でも、もう一回チャレンジしようと思えたのは、1990年に入団した日本リーグのトヨタ自動車ペイサーズ(現アルバルク東京)のおかげです。当時のトヨタはあまり強くなかったので、それまでスコアラーだった私はガードとしてのパッシングを含めてハンドリングも上達したし、ディフェンスのレベルも上がったし、身体も強くなった中でメンタル的にも大人になった。考え方も含めてバスケットボールすべてのレベルが上がった時に、再チャレンジするなら今しかないと思えたので。
――そのチャレンジする姿勢は、男子日本代表のヘッドコーチとして貫いていきます。
東京オリンピックが終わってからは、4年間ずっと頑張ってきたこともあって、ちょっと休憩したかった。ただ、男子日本代表のヘッドコーチへのオファーがすぐに届き、いろいろと考えた中で、この大きなチャレンジをやってみようと思えたんです。まずは2年後のパリオリンピック出場を決めることを大きな目標にすえて、合宿などを積み重ねていく中で、細かい目標を作っていきたいと考えています。
――男子代表でもアナリティックスバスケを、ウォリアーズとロケッツを融合させたスタイルを標榜していくのでしょうか。
目指していくスタイルは一緒ですけど、女子は4番(パワーフォワード)と5番(センター)が強かった。対照的に男子は1番(ポイントガード)と2番(シューティングガード)、そして3番(スモールフォワード)の方が強い。そこを少しずつアジャストさせていくために、今はあれこれと考えているところです。
――そして男子には2人のNBAプレーヤー、八村塁(ワシントン・ウィザーズ)と渡邊雄太(トロント・ラプターズ)がいます。
2人とも走れるし、ディフェンスができるし、シュートも上手い。私の中ですでにイメージが膨らんでいるし、実際に2人がチームに入るのが今からすごく楽しみです。
――ただ、NBAのシーズンとの兼ね合いで、なかなか合宿には参加できません。
それはしょうがないと思っていますけど、3月にアメリカへ帰る予定なので、その時には2人に会ってコミュニケーションを取り始めたいと考えています。日本が目指していくスタイルを説明したいし、私の考え方をしっかりと伝えたい。
――2人にはどのようなことを期待しているのでしょうか。
まずはあの2人が入る前にいいチームを、日本のルールやシステムを作りたい。その上で2人が入る時に、2人がアジャストしてほしい。あの2人にチームがアジャストする形はあまりよくないので、しっかりとチームを作った上で、システムの中で2人の力を上手く使いたい。その点についてもしっかりと話し合いたい。目指すシステムはNBAに由来しているので、2人もよくわかってくれると思います。
――東京オリンピック後に「日本にはスーパースターはいない。試合ごとに異なる選手が活躍するスーパーチームだ」と、見ている側の心に届く言葉を残しました。組織の中で選手が生きる、という信念を男子代表でも貫いていくわけですね。
これから一緒にいいセットを作り上げていきたい。八村と渡邊を含めて、選手たちといいリレーションシップを作っていく中で、私の熱さというものも上手く伝えていきたい。すべてのチャレンジが、今から楽しみで仕方がありません。
1967年1月31日生まれ、アメリカ・コロラド州出身。203cm。5歳のときにバスケットボールを始める。ワイドフィールド・ハイ・スクール、ペンシルベニア州立大学卒業後、ポルトガルリーグのスポルティングを経て、1990年に日本リーグのトヨタ自動車ペイサーズ(現:アルバルク東京)に入団。5度の得点王や、2年連続の3ポイント王を獲得。1994年にはNBAのアトランタ・ホークスに所属し2試合に出場した。その後、日本リーグに復帰し2001年に引退。以後、一般企業を経て、日本のバスケ界発展のために力を尽くす。2017年には女子日本代表ヘッドコーチに就任。東京2020オリンピックバスケットボール女子日本代表ヘッドコーチとして、日本史上初のオリンピック銀メダル獲得に導いた。現在は男子日本代表ヘッドコーチとして活躍。FIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選 Window2として、2月26日にチャイニーズ・タイペイ戦、2月27日にオーストラリア戦が控えている。