「下町の玉三郎」と称され、大衆演劇のスター俳優として活躍する一方、1982年発売の大ヒット曲「夢芝居」は、令和の時代でも多くの人々を魅了、さらにバラエティ番組『プレバト!!』では俳句の永世名人としてお茶の間を賑わすと、ワイドショーではコメンテーターとして、歯に衣着せぬ発言で周囲をざわつかせるなど、まさに八面六臂の活躍を見せる梅沢富美男。現在71歳だが、勢いはとどまることを知らない。その原動力になっているのが「お客さん」の存在だと言う。
梅沢が2021年末に出版した著書のタイトルは『人生70点主義 自分をゆるす生き方』。これまでの芸能活動のなかで梅沢が成し遂げた功績を見れば100点満点のような輝かしい人生に見えるが、本人は「人生70点でいいんですよ」と笑う。
「僕も役者になりたてのころは、とにかく完ぺきなお芝居をみんなに認めてもらおうと一生懸命頑張ってやっていたのですが、そうなればなるほど、凝り固まって独りよがりになっていくんです。お客さんによっては、役者そのものが好きで見に来る方もいれば、キャラクターのファンもいる。役者のファンに方に『あいつより、俺の方がこの役は絶対うまいはずだ』なんて言ったって、どうでもいいことなんですよね」。
自分がどれだけ頑張ったところで、見に来るお客さんの思いに寄り添わなければ、それはただの独りよがり。梅沢はそこで“完ぺきを求めること”の解釈を変えた。そこには亡き父の言葉も大きかった。
「親父が『10人見に来てくださるお客さんがいたら、3人は帰してしまってもいい』と言うんです。理由を聞くと『10人見に来てくださったお客さんが、10人ともお前のことを好きなんてことはないんだ。だから7人だけは心をつかむような芝居をしろ』って言うんです。その言葉はずっと心に残っていたので、きっと70点でいいんだなと思うようになったんだと思います」。
さらに、新型コロナウイルス感染拡大という未曽有の危機も、「人生70点でいい」というポリシーの後押しをした。
「この2年、演劇を行うこと自体難しい状況が続きました。そんななか、もし100点満点を取らなければ……という気持ちに支配されていたら、役者を引退しなければいけないくらい追い込まれていただろうし、多分もう潰れてしまっていたと思うんです。やっぱり人生70点ぐらいでいいと思えたからこそ、こうやっていまもやっていられるんだと思います」。
■女形で活路を見い出す
梅沢が「人生70点」でいいと思ったのは、前述した父親の言葉もあるが、大きな分岐点となったのが、女形という芝居を始めるようになったからだという。
「僕は売れたのが遅かったんです。30代になって初めてテレビに出たのですが、それまでは無名の役者だった。たまたま石ノ森章太郎先生から『矢切の渡し』を踊ってくれないかと言われて女形を始めたのですが、そのとき『坂東玉三郎さんのように幼少期から女形として鍛えられてきた方と同じことをしてもかなわない』と思って、自分なりの女形というのを考えたんです。そのとき宝塚の女優さんが男性を演じるとキャーキャー言われているのを見て、『なんでだろう』と自分なりに考えました。たどり着いた答えが、男役のなかに、女の色気があるからなんだと。それなら俺は女を演じるのではなく、踊りだけで女形を表現しようと思ったんです。それなら声色など昔から鍛錬した人とは違う舞台で勝負できるじゃないですか」。
こうして、俳優としての矜持を持ちつつ、どうにもならないところはキッパリと捨てる「70点でいい」という考えに行きついたという。実際、見ているお客さんにとって、ロボットのように完ぺきな人間よりも、30点ぐらいマイナスがある方が、人間味があっていいという梅沢の考えは、観客から多くの支持を得た。