さて、江戸、明治、大正……尊皇攘夷から幕府へ、そして実業家に。政治家にならずに民間人として日本をより良くするために励んだ渋沢栄一。その波乱に富んだ人生の中、吉沢の大きな賢そうな瞳は常に未来を見据えていて、理不尽に怒り、仲間のために大粒の涙を流し、感情を豊かに見せた。

それが最終回で昇華する。栄一は最後まで母の教え「みぃんながうれしいのが一番なんだで」を守り続けた。国と国とは人と人との関わりであると「人間の根っこの心の尊厳の問題なんだ」と主張する。「友」を大事に「友」の危機には全力で助ける。栄一の人生は、常に、誰かに助けてもらってきたから、彼も人を助けようとする。自分のために何かをするのではなく、常に日本をよくするためみんなのために励んできた。すべては「みぃんながうれしい」その一心であったことが青空のように純粋で清々しい。

ラストシーン、孫の敬三(笠松将)が血洗島に行くと若き日の和装の栄一が畑を耕している。吉沢亮がいいのは大地が似合うところである。あくまで民間人、埼玉の農村を原風景として最後まで実業の道を歩んだ人間の地に足をつけた人物らしさ。“朝ドラ”こと連続テレビ小説『なつぞら』で演じた、農業をやりながら絵を描く生き方を選択し、亡くなるときに手で土に触れて「あったかい」と言って畑のなかで息絶えた山田天陽役は本当に胸を打った。渋沢栄一は山田天陽役なくしてなかったと言っていいと思う。

大ヒットした漫画原作の実写映画『キングダム』では高貴な王家の血筋の人物と庶民の二役(顔がそっくり)を演じて、どちらも鮮やかに演じていたから、貴族も庶民もどちらにも振ることができる能力があるのだろうけれど、あくまで庶民に寄り添う感じが国民的番組の主役にふさわしかったのではないだろうか。とりわけ、今、コロナ禍もあって国力が弱っている。経済的にも苦しい。政治家に頑張ってほしいけれど、完全に頼ることも難しそうだと思ったら、市民が立ち上がるしかない。実在の渋沢栄一がどういう人だったかはここでは問わない。吉沢亮が演じた『青天を衝け』の渋沢栄一は民衆の中から飛び出した代表選手。とびきり元気で純粋で自分のことより人のことばかり考えている。こういう人がいてほしいという最高の希望だった。

ラストシーン、敬三に「いま 日の本はどうなってる」と栄一は尋ねる。「それが、恥ずかしくてとても言えません」と答える敬三。「何言ってんだ。まだまだ励むべ」と豪快に畑を耕し、空を見上げて笑う。戦争をしないように励んだ栄一だが、昭和になると日本は戦争に突き進んでいく。そうならないように長生きしてくれないと困るのだと言われていた栄一。吉沢亮が演じた渋沢栄一は永遠に守るべき人間の最も純粋な魂だったのだ。

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