大河ドラマ初の平成生まれの主演俳優となった吉沢亮(27)は、見事に1年間、大役を務め上げた。『青天を衝け』的に言ったら「励んだ」。“近代日本経済の父”と呼ばれ、新一万円札の顔にも選ばれた渋沢栄一。吉沢はその渋沢の13歳から91歳までを演じた。最終回直前の数回まで60代でもなお若々しかった栄一だが、歩き方はゆっくりとして高齢者の動きを的確に再現していた。
最終回では80代。「胸がむべむべして眠れない」と言うと大隈重信(大倉孝二)に「それは年寄りだからだ」と言われ、「おめおめと寝ていられない」となお言うと「寝ていろ82歳や」とツッコまれる年齢に。孫たちと語る口調も体の動きも“おじいちゃん”になっていたし、亡くなったときの安らかな顔の表現力も見事だった。
とはいえ、27歳、国宝級イケメンと言われているほどの吉沢に終盤、老けメイクで見事な老人の演技をさせて演技が素晴らしいと称えるよりも、せっかくの吉沢亮のいまの魅力をギリギリまで撮ることを選択したことは正しかったと思う。渋沢栄一は最終回のサブタイトル「青春はつづく」のように、まさに生涯「青春」の人として描かれた。実際、驚くほどたくさんの事業をやっていて、それだけエネルギーの分量が常人離れしていたのだろう。体力も気力も。そういう人物を演じるには吉沢亮のような輝き盛りの人物がぴったりだった。
だが、吉沢亮が『青天を衝け』の渋沢栄一にふさわしかったのは若さだけではない。若いだけだけでも渋沢を演じるのは難しい。最初は、晩年まで演じるには若過ぎるのではないかという懸念があった。やはり、数々の大物と渡り合って実業家としてたくさんの仕事を成していく人物をやるためには相当の貫禄が必要で、それにはある程度の技量が備わっていないと表現は難しい。
若いみずみずしさだけなら、血洗島で尊皇攘夷思想に夢中になっている頃までなら十分保たせることができるが(実際、自然のなかで生き生きと躍動していた)、その後、地元を離れ、江戸や京都に出て、やがて一橋家に仕え、篤太夫と名前を変え、頭脳のキレを発揮し、パリ留学までするまでをどう演じるか。ここも吉沢は難なく演じてみせた。頭の回転が速くおしゃべりで弁が立つ。口跡の良さで長いセリフを流暢に語り、意味がよくわかる、吉沢にはその能力があった。世間の心配を彼は見事に払拭した。
2010年に舞台で俳優デビューした吉沢は、その後『仮面ライダーフォーゼ』の“2号ライダー”仮面ライダーメテオ役で人気を馳せ、若手人気俳優の仲間入りをして、映画やドラマの青春ものやアクションもので活躍する一方で、舞台にも定期的に出演していた。その経験が大河でも生きたと感じる。
2016年、三島由紀夫作、宮本亜門演出、鈴木亮平主演『ライ王のテラス』や、芥川龍之介原作でインバル・ピント&アブシャロム・ポラック演出、振り付けの百鬼オペラ『羅生門』などで安定感ある芝居をしてきた。慶喜ではないけれど“吉沢亮”の光を消してその役にしか見えない、とても実直な職人的な芝居をする俳優であった。逆にいえば、技量があり過ぎて本人のキャラで勝負しなさ過ぎてもったいない印象すらあった。
本人は『あさイチ』などで一番になりたいというような野心を語っていたこともあり(大意)、彼の言うそれは、俳優として実を伴った一番なのだろう。セリフも身体表現も驚くほど隙がない。アニメーションで声の吹き替えをやっても“吉沢亮”がやっています感が一切なく、役の声にしか聞こえない。徹底的に磨き上げた美と芸はシンプルなのだと吉沢亮を見ると思うのだ。そしてその安定感が大河ドラマで生かされることになるのだ。ちなみに、吉沢は大河に入る前にミュージカル『プロデューサーズ』に主演し、大河終了後は『マーキュリー・ファー』とこれも舞台である。