2009年にアミューズ全国オーディションでグランプリに輝き、2010年にドラマ『新撰組 PEACE MAKER』(MBS)で俳優デビュー。当時高校生だった野村が、来月には28歳に。年齢や経験を重ねていく中で、俳優として進んでいく覚悟を決めた瞬間があったではないかと思ったが、「役者一本でやっていくぜ! みたいな気負いはあまり持たないようにしています」と明かす。

「そうじゃないと仕事がなくなったときに焦ってしまうし、それくらい落ち着いてやっている状態のほうがいいかなと。役者しかないという焦りがあったら根気詰めすぎてしまうと思うのですが、ある程度の余裕を持っていてもいいんじゃない? という心の持ちようも必要だと思っています」。この野村の考え方は心の健康を保つために大切な気がした。

もちろん最初からその心の余裕があったわけではない。デビューして間もない頃は「仕事がないと休みになってしまう」と焦りがあったという。だが、「なんとかなるんじゃないか」と思うようにして、自分を追い詰めすぎることなくやってこられたようだ。

また、関西人で本当はおしゃべりが好きなのに、現場であまり話さないようにしていた時期があったという。「7年前くらいって俳優は黙っているみたいな風潮があり、その風潮に乗った感じです。それがかっこいいと思って(笑)。インタビューでも全然しゃべらなかったので、嫌な俳優だと思われていたと思います」。

だが、そこから仕事のオファーが増加。「黙っていたら『コイツよく考えている』みたいに思われるようになって、急にお仕事をたくさんいただけるように。クールぶっていただけなんですけど、いい感じに受け取ってもらえたみたいです(笑)」と振り返る。

そして、「お仕事が順調になってきて、本当はよくしゃべるんですというテンションに戻しました」と本来の自分を出すように。何か一つの出来事をきっかけにしゃべるようになったわけではなく、「大人になるにつれて次第に変わっていったんだと思います」とのこと。自然体で過ごすようになり、「居心地はいいです」と話す野村。「でも、もし仕事のオファーが来なくなったらまた黙ろうかな(笑)」と冗談も放って笑いを誘った。

最後に、今後どのように思い描いているのか尋ねると、「人生楽しんでいけたらそれで満足なので、好きな仲間と好きなことをして人生楽しんでいきたいですね。仕事以外の部分では、車やバイクなど、自分の好きなことを突き詰めていく人生にしていきたい。男の子の趣味に対しての知識はすごいです(笑)」と回答。

俳優業に関しては「いい作品にどんどん出ていきたいです」と述べ、いい作品の基準について「お笑いという意味ではなく、作品として面白いか面白くないかを特にチェックしています。もちろん、これはバズリそうだなという作品も気になっています。自分が面白いと思う作品にこれからも出演していけたらうれしいです」と語った。

■野村周平
1993年11月14日生まれ、兵庫県出身。2010年に俳優デビュー。2012年、連続テレビ小説『梅ちゃん先生』(NHK)で注目を浴びる。2019年5月から1年間ニューヨークに留学をし、習得していた中国語だけでなく英語力も向上させた。特技はスノーボード・スケートボード・BMX(バイシクルモトクロス)など。現在WOWOWで放送中のアーバンスポーツの魅力をWEBで展開する動画と連動し、選手の内面やカルチャーとしての奥深さを掘り下げていく番組『HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~』ではMCにも挑戦中。