19日に放送された大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)第27回「篤太夫、駿府で励む」(脚本:大森美香 演出:村橋直樹)は、土方歳三(町田啓太)が飾った徳川最後の戦い(五稜郭の戦い)に尽きる。
それについて語る前にざっくり全体の流れをおさらいしておこう。第27回は、第26回で2度出てきた言葉「励む」がサブタイトルになった。「パリまで行ってようやくわかったんだ。銃や剣を手に戦をするんじゃねぇ。畑を耕し藍を売り唄を歌い、皆で働いて励むことこそが俺の戦い方だったんだ」(篤太夫〈吉沢亮〉)と「(世を)崩しっぱなしでどうする。この先こそがおまえの励み時だろう」(長七郎〈満島真之介〉)である。明治元年、東京になった江戸を離れ篤太夫は駿府藩で励む。勘定組頭にという提案は辞退しいよいよ商人としての力を発揮していく篤太夫。まずは武士と商人が力を合わせ“コンパニー”を作る。武士は腰の刀を外してそろばんに向き合うことになる。その代表格が平岡円四郎(堤真一)の忠実な部下だった川村恵十郎(波岡一喜)。徳川のために何かできないかという想いが彼を掻き立てた。
北海道の箱館には最後まで徳川のために戦い続けた者たちがいた。成一郎(高良健吾)や新選組の土方歳三(町田啓太)である。第27回は土方の死に徳川幕府の魂が重なって見えた。それをドラマティックに演出したのは「赤」だった。序盤、篤太夫から届いた手紙を民部公子(板垣李光人)が読んで「やはり兄(草なぎ剛)と渋沢殿の仲はスペシアルなのだな」と感心する場面。国を守ろうとした徳川家の矜持を胸に「前を向かねば」と民部公子が毅然とする眼前で雪が舞っている。水戸の名物である梅(斉昭が梅が咲き誇る偕楽園を作っている)の紅が雪の白に混じって美しくもありどこか物悲しさをも感じさせる。
中盤、駿府に引っ越すことになった千代(橋本愛)とうた(山崎千聖)を横目に成一郎(高良健吾)の妻よし(成海璃子)は浮かない顔をしている。順風満帆な篤太夫と比べて成一郎は朝敵とみなされながらも未だ闘い続けていることが解せない。成一郎のいる箱館では戦いが激化中。刀が真っ赤に染まっている。医師・高松凌雲(細田善彦)が負傷した人々を敵味方別け隔てなく診ている部屋中に血まみれの白い布がかかっていて戦いの過酷さ悲惨さを物語る。ここでも「赤」が目に刺さる。駿府では刀を外してそろばんに持ち替え屋敷には穏やかな光が差し込んでいるが箱館は刀を振り回し世界は血まみれだ。
終盤になるといよいよ旧幕府軍は追い詰められてもう後がない。土方は小姓の市村鉄之助に自分の写真を日野に届けてほしいと預け死を覚悟する。その手は真っ赤である。「俺はこれ以上死に後れるわけにはいかぬ」と言う土方。刀を銃に変えてまで戦い続けてきたのはふさわしい死に方をしたかったからだろうか。成一郎も死のうとすると「お主の友(篤太夫)は生きると言ったぞ」「お主も俺とは違う、生のにおいがする。お主は生きろ」「生きて日の本の行く末を見届けろ。ひょっとするとそのほうがよほどつらいかもしれぬ」と逃がそうとする。
筆者はここでシェイクスピアの『ハムレット』を思い出した。ハムレットの親友・ホレイシオがハムレットの死の間際、共に死ぬと言うと「苦しいだろうが、すさんだこの世で生き長らえ俺のことを語り伝えてくれ」(松岡和子訳を引用)と託す名場面があって、まるでそのようだと感じた。この手の誰かに後世に伝えてほしいと託す場面は古今東西テッパンではあるが。鉄之助も同じような語り部的役割を託されたわけだが、彼は新選組側からの視点で、成一郎は彰義隊側の視点で語り継ぐべき人物なのである。
土方に諭されひとり生きようと歩む成一郎。絶望の瞬間、画面がモノクロになり、亡くなっていった者たちの赤き血がパートカラーで強調される。そしてその数日後、戦場で眠るように亡くなる土方。手元には赤く染まった徳川の紋。「すべての徳川の戦いが終わりました」とナレーションが入る。『青天を衝け』では徳川の最後の戦いを飾ったのは土方歳三だったことになる。この五稜郭の戦いは、榎本武揚を中心にして旧幕府の生きる場所を北海道の地に求め闘っていたもので、土方の戦死後、榎本は降伏した。