パラリンピックで休止していた大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)が9月12日に再開する。ついに新時代、明治編がはじまるその前に、休止前に放送された第25回「篤太夫、帰国する」(脚本:大森美香 演出:黒崎博)を主要人物の人生の選択という視点で振り返ってみよう。
というのは篤太夫(吉沢亮)の従兄弟・平七郎(満島真之介)が「俺たちは何のために生まれてきたんだんべな」と暗い瞳でつぶやく場面はまるで徳川幕府の時代の終わりに必死で生きてきたたくさんの人たちを想い返すかのように感じられたからだ。武士の時代の価値観は江戸時代と共に消え、明治時代は新しい価値観が生まれ育っていく。第25回にはその分かれ道がくっきり描かれていた。
心情がミステリアスな徳川慶喜(草なぎ剛)……大政奉還を行い朝廷に政権を返上した。世間からは「朝敵」の汚名を着せられるが、天璋院(上白石萌音)に「朝廷に刃向かう気はありませぬ」ということを静寛院宮(深川麻衣)に伝えてほしいと頼む。だが天璋院には「武士の棟梁として潔くお腹を召されませ」と厳しいことを突きつけられる。自害はせず謹慎する、その真意はドラマ上ではまだ謎。淡々と飄々とますます心情がわからずミステリアスである。
家を守ろうとした天璋院と和宮……天璋院は新政府を立ち上げようとする薩摩藩の出で、父・島津斉彬から慶喜を推すように命じられ遠路はるばる徳川家に嫁いだ彼女は最後まで徳川家を守ろうとする。西郷隆盛(博多華丸)に徳川家の存続を願う手紙を書く。自分の命よりも徳川家が大事と考えている。和宮は天皇家と徳川家を繋ぐため家茂(磯村勇斗)に嫁いだ。彼女もまた嫁ぎ先の“家”を大事にして、このまま徳川家の終わりと共に死を選ぶ覚悟をしている。天璋院と和宮から感じられるのはこの時代の“家”の重大さ。個人の自由よりも家を守ることを使命としている。これは脚本家の大森美香氏が朝ドラ『あさが来た』でも描いていたことで、主人公あさとその姉はつもちょうどこの江戸から明治に変わる時代を経験していて、“家”を守ることを第一に教えられて育ち、嫁ぎ先で奮闘し、晩年は「家を守ることができただろうか」と振り返るのである。武士の時代は江戸時代で終わったが、“家”を守る価値観は明治時代になっても続いていく。天璋院と和宮の姿に女性たちの大変さを感じた。
近代化を目指した小栗忠順(武田真治)……薩長と闘おうとした容疑で斬首される。勘定奉行や外国奉行として篤太夫よりも早く海外を見てまわり近代化政策を行おうとしたが志半ばで倒れる。無念なのか諦めない気持ちなのかわからないが斬首のときにネジを舌に乗せて突き出して見せる(ドラマならではの演出であろう)。彼の思いは篤太夫に間接的ではあるが引き継がれることになる。
徳川家に殉じた川路聖謨(平田満)……長年、公儀に仕えた。引退後は体調が思わしくなかった。暗殺された円四郎(堤真一)とも親しかった。江戸城に官軍が入る日に「徳川万歳」とピストル自殺。世間が「トコトンヤレ節」などを歌って盛り上がっていることへの抗議の意味もあるかもしれない。妻を残して逝ってしまうのはなんだか悲しいが、それだけ徳川に尽くしていたのだろう。だが自ら動くには体調が悪く潔く徳川に殉じることしかできなかったのかもしれない。
戦い続ける渋沢成一郎(高良健吾)……慶喜の無念をはらそうと「彰義隊」の頭として立ち上がる。「上様の尊王の心を世に示しまする」と慶喜に宣言するが、慶喜は何も言わずに黙って江戸城から水戸に移ってしまう。それでも戦いを続け、やがて彰義隊は分裂、振武軍と名乗って活動を継続。上野の山が燃えている(上野戦争)のを見ながら秩父の山を行く途中、敵に襲われ命からがら逃げ延びる。函館に向かい戦い続ける。完全に篤太夫と生きる道が変わり、成一郎は最後まで武士として生きようとする。彼の場合は何もしないで共に死ぬのではなく慶喜の汚名をそそぎ、徳川家の矜持を守るためにできる限りのことをやろうとしている。生きた確かな証しを残したい、そんな情熱を感じる人物である。
刀から銃へ――土方歳三(町田啓太)……新選組の組員が次々倒れる中、生き延びて函館に。「俺は潔く旧来の戦いは捨てた」と銃で闘い、成一郎の危機を救う。土方と成一郎は武士として徳川家のために最後まで戦い続ける志が同じ。さらに土方は刀を銃に変えてまで生き抜こうとする。これは篤太夫に会って「生きる」大切さを知ったからではないだろうか。