■横浜市電を彩った車両たち
市電全廃の翌年、1973(昭和48)年8月に、滝頭(たきがしら)の車両修繕工場・車庫跡に「横浜市電保存館」(以下、保存館)がオープンした。
同館は電車6両、無蓋貨車1両を保存・展示しており、路面電車の常設展示施設としては、全国的に見ても非常に充実している。各時代の多彩な車両を保存できた理由には、横浜市電が軌間1,372mmという、都電や京王電鉄など少数の路線でしか採用していない特殊なゲージだったために他路線へ車両が譲渡されなかったこと、戦前に製造された旧式車も廃止直前まで多数活躍していたことなどが挙げられる。
横浜市内では野毛山動物園や久良岐公園にも1両ずつ市電車両が保存されている。以下、現在も一般公開されている各車両の来歴を整理する。なお、市立中田小学校の敷地内にも1両保存されているが、原則非公開となっている。
●500型(523号車 / 保存館)
- 製造 : 東京瓦斯電気(20両)、蒲田車両(20両)、雨宮製作所(20両) 合計60両
- 来歴 : 車体全長9.144m、定員75名。震災復興が行われた大正末期から昭和初期にかけて路線延長が続き、大量の新車を必要としたことから、1928(昭和3)年に導入された。製造数が多く、戦前の横浜市電の「顔」ともいえる存在。単車でありながら戦後も長く活躍したが、1969(昭和44)年までに全車廃車された。523号車の塗装は、横浜市電研究の第一人者であった故長谷川弘和氏(1925年生まれ)の記憶を頼りに、1975(昭和50)年に新車当時の塗装が再現された。
●1000型(1007号車 / 保存館)
- 製造 : 蒲田車両(10両)、雨宮製作所(10両) 合計20両
- 来歴 : 500型と同じく1928(昭和3)年に導入された。横浜市電では初のボギー車(台車を用いた車両)である。全長13.4m、定員120名の大型車。車両中央にも扉がある3扉車で、中扉に中部車掌を置き(運転士、後部車掌と3人乗務)、乗車券の販売など行ったが、後に合理化され、中部車掌は廃止された。その後、ワンマン化の際、乗客の安全確認の観点から全長12m、幅2.6mの規格を超える車両はワンマン化の対象から外されたため、1970(昭和45)年までに全車廃車となった。1007号車はクリーム色に青いラインという、現在の市バスと同じ塗装が施されている。これは市電と自動車の接触事故が多発したために、1961(昭和36)年から導入された「警戒色」である。
●1100型(1104号車 / 保存館)
- 製造 : 梅鉢車両(5両)
- 来歴 : 500型と1000型が製造されて以降、財政悪化のため新車の増備はしばらくなく、1936(昭和11)年、8年ぶりに増備された車両が1100型だった。全長11.4m、定員95名の中型ボギー車。2人掛けのクロスシート(ロマンスシート)が6個(12席)配置されるなど、モダンなつくりから「ロマンスカー」と呼ばれた。戦時期になると収容力を高めるためにクロスシートが廃止され、1967(昭和42)年にはワンマン車に改造された。1972(昭和47)年3月の市電全廃まで活躍。1104号車の塗装も「警戒色」である。
●1300型(1311号車 / 保存館)
- 製造 : 汽車製造(30両)
- 来歴 : 終戦後、全国で新車が大量に必要とされたことから「製造両数の割当て」(長谷川弘和『横浜市電の時代』)が行われ、その割り当てで1947(昭和22)年に製造された車両が3000型だった。翌年、1300型に改番された。全長13.62m、定員120名と横浜市電最大のボギー車である。ワンマン化の対象とならず、1971(昭和46)年までに全車廃車。1311号車は2013(平成25)年、新車時の水色に塗装された。
●1500型(1510号車 / 保存館、1518号車 / 野毛山動物園)
- 製造 : 日立製作所(20両)
- 来歴 : 戦後、横浜市交通局はバス・タクシー等の新たな交通機関に対抗するため、乗り心地の改善と性能向上をめざした新型車両の研究を始めた。その成果を生かし、1951(昭和26)年に導入された車両が1500型。「和製PCCカー」(PCCカーは1930年代の米国で開発された高性能路面電車車両)とも呼ばれ、戦後の横浜市電を代表する車両となった。全長12m、定員100名の中型ボギー車。防振ゴムを使った台車や間接制御などの新しい技術が導入されたほか、モーターを4基設置してパワーアップをはかった。後にワンマン車へ改造され、横浜市電が廃止される最後の日まで走った。保存館の1510号車は2013(平成25)年にコーヒーブラウンに塗装されたが、1500型が同色に塗装された史実はない(1150型2両が試験的にコーヒーブラウンに塗装されたことはある)。
●1150型(1156号車 / 久良岐公園)
- 製造 : 宇都宮車両(8両)、ナニワ工機(12両)、横浜市交通局(2両) 計22両
- 来歴 : 1952(昭和27)年に登場。1500型と同様の車体を使用しているが、製作費節約のため直接制御車だった。「形式の数字が1150と中途半端なのは、やがては1500形に改造することを考慮」(長谷川弘和『横浜市電の時代』)したためだといい、直接制御から間接制御に改造できるように配管されていた。後にワンマン化対応し、1972(昭和47)年3月の市電全廃まで活躍。1156号車は一時、老朽化が進み、解体の話も持ち上がったが、地元の新聞社や塗装会社の尽力で修復が行われた。月1回程度、清掃に合わせて公開日を設けていたが、現在は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、公開を見合わせている。
●1600型(1601号車 / 保存館)
- 製造 : 横浜市交通局(6両)
- 来歴 : 1957(昭和32)年に製造された横浜市電最後の新造車。全長12m、定員100名の中型ボギー車。ドア位置が左右非対称となっている点が特徴で、これはツーマン運行時、乗客の乗降りの安全確認をしやすい位置にドアを配置したためだという。外観は近代的な印象だが、直接制御車だった。ワンマン化には対応せず、1970(昭和45)年までに全車廃車。わずか12年使用されたにすぎなかった。1601号車は1977(昭和52)年6月、新車時のクリーム色とダークブルーの塗装に塗り替えた。
さて、現在、横浜市電保存館では横浜市営交通100周年を記念し、無蓋貨車を利用して市電全廃時に1週間運行された「花電車」を再現しているほか、市電をテーマにした写真展(2カ月ごとに展示替え)も行っている。横浜市電の歴史を改めて知るチャンスであり、緊急事態宣言が明けたならば、一度足を運んでみてはいかがだろうか。