日本では満身創痍の尾高惇忠、成一郎、平九郎が行進している中に銃が放たれる。そのとき、パリで篤太夫はコーヒーにミルクを入れている。不吉な模様ができて、そこへ御一新(明治維新)の報告が入る(五箇条の御誓文の交付)。最初は留学を続けようとした民部公司もついに日本に戻る決意を固める。帰国のときにヴィレットが民部公司にわたすインモルテルという花束の花言葉は「不滅」。200年以上続いた徳川幕府への敬意であろうか。
パリでは日本の状況が具体的にわからないが、先立つもの(お金)だけは確実に心もとなくなっている。そんなとき篤太夫はエラール(グレッグ・デール)に証券取引所に連れていかれ債券という存在を知る。そして国債と鉄道債を買って儲けを得ることに成功する。儲けただけでない、日本のお金がフランスの鉄道の役にも立った。ささやかながら日本とフランスが手を取り合ったようなものである。篤太夫はここではじめて異人への偏見を完全に払拭するのである。すっかり着こなしているように見えた洋装も篤太夫の心の中でまだ異国人に対してのわだかまりがあった。それを千代は気づいていたのかもしれない。
「皆の小さき一滴一滴が流れをつくり(大きな川になる)皆が幸せになる」――それはヨーロッパでは「キャピタルソシアル」と言われていた。庶民が事業に投資して企業がうまくいくとその分、配当が戻ってくる。昔、栄一たち農民が年貢に苦しんだように取られるだけではなく還元される方法が西洋にはあった。それを「大きな川になる=資本」と表現する篤太夫。胸に手を当てて「ぐるぐるする」ではなく「おかしれえ」と目を輝かせる。それまで使っていた「ぐるぐるする」という極めて抽象的な言葉が円四郎(堤真一)が言っていた「おかしれえ」に変換されたことも篤太夫の成長を感じさせる。
すべてが新しく切り替わっていく第24回で注目したいのは篤太夫と民部公司が語らいながら歩くセーヌ川。篤太夫の「小さき一滴一滴が流れをつくり(大きな川になる)」と掛けたような優美なセーヌ川。そしてその向こうに建つノートルダム大聖堂。川と寺院は21世紀の今も変わらず存在している。世界遺産にもなっている寺院が着工されたのは1163年で竣工は1345年。900年近くも前からあるのだからすごいことである。ちなみ1163年は日本では平安時代末期、北条義時が生まれた年である。北条義時とは来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公である。これは偶然かもしれないが、まさに一滴と一滴が繋がって大河となっていくように、時代は確実につながっている。セーヌ川とノートルダム大聖堂に大河ドラマの真髄を見たような感慨を覚えた。
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