東映が誇る2大ヒーローシリーズ「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」のダブルアニバーサリー映画『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』が、現在公開中である。
この映画は、今年で誕生50年を迎えた「仮面ライダー」と、同じく今年で第45作品を数える「スーパー戦隊」のヒーローたちが大結集し、共に力を合わせて巨大なる敵に立ち向かうという、スケールの大きな作品となった。現在放送中の『仮面ライダーセイバー』(2020年)と『機界戦隊ゼンカイジャー』(2021年)のキャラクターたちが豪華コラボを果たす中、「ヒーロー誕生の秘密」をも描く、幻想的かつドラマチックなストーリーが繰り広げられている。
映画の公開を記念し、第1作『仮面ライダー』(1971年)で本郷猛/仮面ライダー(1号)を演じた藤岡弘、にインタビューを行った。いまや日本だけでなく、世界各国に熱烈なファンが存在する「仮面ライダー」シリーズの原点というべき仮面ライダー1号は、この映画の中で重要な役を担っている。藤岡から、『仮面ライダー』とスーパー戦隊シリーズの第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)という2大ヒーローキャラクターを創造した“萬画家”石ノ森章太郎氏への熱烈なリスペクトや、50年にもわたって仮面ライダーが愛され続ける理由、そして未来を担う若きヒーローたち『仮面ライダーセイバー』『機界戦隊ゼンカイジャー』を見守り、応援する先輩ヒーローとしての思いを訊いた。
――先日行われた映画の完成披露イベントは「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」で行われました。『仮面ライダー』の原作者・石ノ森章太郎先生が青春時代を過ごされた伝説のアパートを再現した施設をご覧になり、藤岡さんはどんなことを思われましたか。
トキワ荘マンガミュージアムには、初めてうかがったんですよ。再現されたトキワ荘の中に入ってみて、ああ、石ノ森先生の“萬画”人生はこの場所から本格的にスタートされたんだなあ……と思うと、感じ入るものがありましたね。
――昭和の風情が感じられる木造アパートには、藤岡さんも懐かしさを感じられたりしたのではないですか。
私も上京したばかりのころは、アパートで数人と共同生活をしていました。都内でしたけれど、周囲は畑と田んぼばかり。夜は真っ暗で寂しい感じでした。トキワ荘を見たとき、昔はああいうアパートで若いクリエイターが夢を見ながら、みんな頑張っていたことを思い出します。昭和の時代の、古き良き象徴です。
――藤岡さんと石ノ森先生が初めて会われたのはいつですか。
『仮面ライダー』で石ノ森先生が監督を務められたとき(第84話「危うしライダー!イソギンジャガーの地獄罠」)ですね。あの回は、石ノ森先生が描いていた斬新な“萬画”をそのまま映像に置き換えたかのような、従来のテレビ番組を越えたスケール感がありました。試写を観たとき、先生はそうとう視野が広い方なんだなと痛感しましたね。他のエピソードとはひと味も二味も違う、不思議な吸引力を感じました。
――石ノ森先生とお会いしたときの印象を聞かせてください。
石ノ森先生の思い出は鮮烈でした。大きな夢を持っている方で、頭の中に無限のイメージがあるような。後になってうかがったお話ですが、先生は若いころ、お金がなくてもとにかく「良い映画」を観て「良い音楽」を聴く生活を欠かさなかったそうです。私自身もまったく同じで、それがうれしかったんです。私も映画が大好きでしたから、まだお金がなかった時代でもなんとかして映画代を稼ごうと、アルバイトをしていたんです。それでたくさん映画を観て、お金がなくなったらまたアルバイトするという生活をね(笑)。若いころに良い映画をたくさん観てきたからこそ、後にいろんな「世界」へとつながっていった。そういった生活が、現在の自分自身の財産になっているんです。
――石ノ森先生が『週刊ぼくらマガジン』および『週刊少年マガジン』に連載されていた『仮面ライダー』をお読みになったことはありましたか。
『仮面ライダー』のときは毎日撮影に明け暮れていたため余裕がなく、じっくりとは読んだことがなかったのですが、最初のころ「これが仮面ライダーの漫画か」と、少しだけ拝見しました。あのころ、私は漫画というよりもむしろ、活字の本に飢えていたところがありましたね。その数年前、東京に初めて出てきたとき、お金がないものだから本が買えないんですよ。そこで、アルバイトの帰りに乗った最終電車の網棚に捨ててある新聞や雑誌をたくさん集めて、束にして持って帰って、ひたすら読んでいたことがありました。とにかく活字情報に飢えていた。今でも、世界の情勢が記された雑誌は注意深く読んでいます。膨大な情報を自分の頭の中で整理し、知識としてたくわえていく作業が好きなんですね。