――それで大学卒業後に思い立って来日されたそうですが、まず大阪に行ったんですよね?

「Japanese comedy where」で検索したら「Osaka」って出てきたんです。それで大阪に行くんですけど、周りに同じ人種しかいなくて、日本語しかないから、完全にカルチャーショックでビビっちゃったんですよ。でも、とりあえずホテル見つけなきゃと思って新大阪駅で探してたら、老夫婦から「you need help?」って声をかけられたんです。「なんで日本に来たの?」って聞かれて「高田純次」って答えたら、「はー?」みたいな(笑)。それでご飯に連れて行ってもらって、これまでの経緯をゆっくり説明したら、「君は1人じゃ絶対無理だから、うちに泊まっていいよ」って。

――すごい出会いですね!

平野区の家にしばらく泊めてもらって、ご飯も全部無料で食べさせてもらい、「がんばってー!」って老夫婦に応援してもらいました。

――大阪ではどのように過ごしていたのですか?

まず日本語を覚えないといけないということで、泊めてもらったお父さんが昔海外に行ったりしてちょっと英語ができるから、教えてくれたんです。「あのなあ! あのなあ!」って口癖と、「電車乗るときは痴漢に間違われるから手挙げとかないとあかんねん!」って言われたのを覚えてます(笑)。あと、「絶対見ないといけないテレビあるから。さんまさん神だから! god! god!」って言われて、さんまさんの番組を見まくってましたね。

――日本のお父さん・お母さんのような存在ですね。

何年後かに『(笑って)いいとも!』に出たときは、「ほんとにテレビ出たんだ!」って喜んでくれて、すごい感動的でした。

――お仕事はどうされたのですか?

ITの仕事をネットで調べたら、東京ビッグサイトで企業の合同面接会があって、何個かの会社を受けたら、証券会社のデータセンターのエンジニアになれたので、大阪から東京に引っ越して、サラリーマンしながら日本語覚えたりお笑い覚えたりして、5年間過ごしました。

―― 一流証券会社のゴールドマン・サックスですよね。

それ、みんな勝手にエリートとか金持ちと思ってるんですけど、違いますから(笑)! データセンターのエンジニアと証券マンとは違うんですよ。これは、ハッキリ言わせてください!

――かしこまりました(笑)。そんなサラリーマン生活を経て、超新塾さんのオーディションを受けられたわけですが、なぜ超新塾さんだったのですか?

完全に流れですね。芸人になる前、俳優の渡部豪太と、代々木公園のスケボー友達だったんですよ。俳優やってるのも知らなくて、「お笑いやりたいんだ」って言ったら、「俺は俳優だよ」っていうことで、ワタナベ(エンターテインメント)の俳優さんを紹介してくれて、その人が芸人さんを紹介してくれて、超新塾に出会うという流れです。だから、渡部豪太のおかげなんです。

■憧れの高田純次に出会うチャンスが…

――それから順調にご活躍されていますが、売れたきっかけというのは何が大きかったですか?

「細かすぎて伝わらないモノマネ」(『とんねるずのみなさんのおかげでした』)でやった「東京ディズニーシーの入口のアナウンス」が、多くの人に知ってもらうきっかけですね。それから矢作(兼)さんとも仲良くさせてもらって、「DMM英会話」のCMも誘ってくれたんです。あれはネタも全部矢作さんプロデュースで、「タメィゴ」ってみんな大好きですよね(笑)。これでまたバーンって知られるようになったと思います。

――街で声をかけられることも増えましたか?

そうそうそう。「東京ディズニーシー!」とか「タメィゴ」とか言われるようになりました(笑)

――原点の高田純次さんとは、お会いできたのですか?

実は僕が超新塾に入って初めての仕事が、高田純次さんと共演するロト6のCMだったんですよ!

――おおー! これは運命ですね!!

でも、残念ながら僕はまだゴールドマン・サックスで働いていて、休みが取れなかったんです。だからまだ、1回も会ったことないんですよ。

――いつか会えるといいですね。

最近はあまりバラエティにも出られてないですから、会えるとしたら『じゅん散歩』しかチャンスはないでしょうね。ひょっこり登場できたらいいなと思います。