栄一は、2人目の子ども・うたが生まれたにもかかわらず、この家から自分を勘当してほしいと父・市郎右衛門(小林薫)に頭を下げる。勘当されることで家の迷惑にならないように、そして姉てい(藤野涼子)に婿をとって家を継いでもらうようにと考えたのだ。「みんなが幸せなのが一番なんだ」とゑい(和久井映見)の言葉を守ったがためにそこまで自分を追い詰めてしまう皮肉。栄一は最初は家や村の幸せを考えていたが、もっと視界を広げて、この国のみんなの幸せを考えるようになっていた。

「この世を変えることに命をかけてえ」

その想いを語る栄一の瞳は濁りなく、こわいくらいに澄みきっている。千代にまで「ひとつだけじゃない。どっちも、どっちもに栄一さんの道はあるんです」と頼みこまれ、やりきれない表情の市郎右衛門、そしてゑい。とりわけゑいはまさか自分の教えがこんなことになるとは思いもよらなかったであろう。

ゑいの言ったことで印象的なものはまだある。市太郎が亡くなったとき、嘆く千代に「どんな偉いお殿様だって何十人と子をつくってちゃんと育つのはほんの一握り」と栄一が生まれる前に2人の子を亡くしていると語っていた。この場面を見て、この時代、男性が正妻以外に子どもをあちこちに作っていたのは、1人でも未来に子孫を残そうという生物の本能からだったのかもしれない。それもひとつの「みんなの幸せ」を考えてのことであろうかなんてことを思った(あくまで個人の感想です)。生きるためにどうすることが正しいのかも、よくわからなくなってくる。

血洗島には志を共にする人々が続々と集まって来た。だが、慶喜が攘夷は詭弁、妄想と言うように、長州藩、薩摩藩が外国に破れ、攘夷の無謀さが浮き彫りになり、京都では過激な攘夷志士たちが追放されるなど攘夷派の立場は不安定なものに。それを知ってか知らずか栄一たちは作戦を着々と進行していく。良かれと思って突き進むその姿はなんだか痛ましい。

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