大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第11回「横濱焼き討ち計画」(脚本:大森美香 演出:黒崎博)は、第1回で描かれた渋沢栄一(吉沢亮)と最後の将軍・徳川慶喜(草なぎ剛)が出会う4年前の出来事になる。
慶喜は島津久光(池田成志)の力添えによって第14代将軍・家茂(磯村勇斗)の後見職となった(文久2年)。島津は攘夷(天皇を敬い外敵を排除する)を目指すが慶喜は攘夷を「もはや詭弁」「空気な妄想」と一刀両断。慶喜は皆が自分を都合よく使おうとしているだけだと肩を落とす。
日本の状態を考えて攘夷など不可能、外国に攻められたら勝ち目はないと悟っている慶喜に対して、栄一は、千代(橋本愛)が念願の長男・市太郎を出産したことで一時は「攘夷」への情熱を忘れていたが、麻疹で市太郎が亡くなるとその反動で「攘夷」への思いを募らせていく。その年、麻疹とコレラで20万人の人が亡くなった。
栄一や尾高惇忠(田辺誠一)、長七郎(満島真之介)たちインテリ農民たちは熱病にかかったように攘夷にのめり込んでいく。「攘夷遂行」と「封建打破」のため異人の商館のある横濱を焼き討ちする計画を立てる惇忠。最終目的は「幕府転覆」。
筆者が熱病と感じる理由のひとつには、喜作(高良健吾)がまず高崎城を乗っ取る作戦の参考として、『八犬伝』を持ち出すことがある。
滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は今でもエンターテイメントとして愛されている物語。仁義礼智忠信孝悌の8つの珠をもった八犬士たちが数奇な運命のもとに集結する。1814年にはじまって1842年に完結した30年にもわたる大長編。文久2年は1862年なので完結してから20年後。その頃は歌舞伎化もされ息の長い人気を誇っていた。それを喜作が読みふけっていてもおかしくない。今で言ったら舞台化や映画化もされる長編人気漫画――『ONE PIECE』や『NARUTO―ナルトー』などだろうか。『鬼滅の刃』は舞台化も映画化もされたが連載期間は4年間と短いため、ここでは例にあげないでおく。
フィクションに描かれた出来事と現実を重ねて考える点においては、例えば『新世紀エヴァンゲリヲン』のヤシマ作戦と、震災時の節電のための「計画停電」やコロナ禍における緊急事態宣言のための東京都の「消灯要請」とを重ね合わせSNSが盛り上がったことに近いかもしれない。いつの世でも物語と現実を重ね合わせることがある。幕末の青年たちと今が少し重なって見えることで栄一たちに親しみが湧く。と同時に、小説に書かれたことと幕府転覆にまで及ぶ壮大な計画を重ねてしまう喜作の危うさも感じてしまう。
ただし、惇忠が、横濱を焼き討ちするために火の回りのいい、最も空気が乾燥している冬至に決行すると考えるところは極めて合理的である。第10回で、秋冬になって風景が茶色になっているのを感じていたが、殺伐とした情景の暗喩のみならず、赤城おろしのからっ風の影響を受けている血洗島の秋冬のリアリティーでもあったのだ。季節の変化とそこに生きる者の行動が密接に関わり合っている描写がじつに丁寧である。
10回では無駄死にしないように言っていた惇忠たちは死を覚悟した作戦の前に、無駄死にしないように後(あと)を任せる者を残そうとする。若い平九郎(岡田健史)は残る役割を引き受ける。