そのあとに血洗島。まだそのうねりの中心に自分が入っていくとはまだ思ってもいない栄一(吉沢亮)の純粋無垢な表情へと場面は移る。血洗島の面々は尊皇攘夷派の活躍に湧いている。気持ちの盛り上がった喜作(高良健吾)はかぼちゃを首に見立てて鍬を立てる。そんな男たちの様子を少し心配そうに見る千代(橋本愛)。そして血気にはやるインテリ農民たちのなかにいながら栄一だけは少しだけ盛り上がりきれていないように見える。『青天を衝け』で注目すべきは、ここである。

折り合いをつけながら激務に向き合う直弼、強引に見えて、敵を作ってしまったことを気にする斉昭、尊皇攘夷の気運のなかふと考える栄一……誰もが少しずつ揺れている。誰ひとり正解をもっていない。より良い世の中をどうしたら作ることができるか、迷いながら先に進んでいく。その姿はまるでタイトルバックの墨の滲んだような軌跡のようだ。ちりちりと揺れる人生の道筋にこそ魅力があるように感じる。

例えば、「案ずるべきはこの水戸ぞ」と言う斉昭。彼が亡くなる直前、妻・吉子(原日出子)に「ありがとう」と口づけをしたこともSNSを沸かせた。この時代に日本にも口づけは存在していたとされるが、欧米のように挨拶のようにカジュアルに用いられてはいないはずで、別れ際にすることは欧米的と考えられる。開国をあんなに反対し強引過ぎるほどだった斉昭が欧米的な別れの挨拶を行うこと、妻への愛をあったことを示すことが極めて興味深く、斉昭の人物として深みがいっそう増したように感じる。さすが竹中直人。

斉昭が亡くなるとき、少年時代の慶喜に教えた健康の秘訣のひとつ、体を湿らせず乾いていることが大事であることを口にする。慶喜は、平岡円四郎(堤真一)が甲府へ勤番となり別れの挨拶をしに来たとき、この父からの教えを伝授した。慶喜は成長してもなお父の教えを守り続けてきたのであろう。のちに、謹慎の身では父の死に目にも会えない、なんという親不孝者だとさめざめと泣く想いは、この斉昭と慶喜固有の健康の秘訣の記憶があるからこそ一層際立つ。

ひげぼうぼうで諦めきった表情を浮かべている慶喜に、美賀君(川栄李奈)は「かようなお年で謹慎とは」と怒り、仕えていた円四郎を責める。「かようなお年」とは何歳かといえばーー。1837年生まれで、桜田門外の変は1860年だから、23歳。現代ならこれから社会に出る年頃。それが謹慎とは確かに切ない。でも慶喜もまだ先の展開が待っている。謹慎した部屋が完全に闇ではなく隙間から光が溢れていることにすこしだけ希望を感じた。

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