1995年10月にスタートしたフジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)が、18日の放送で1,000回を迎える。これを記念して、11日・18日の2週にわたって、番組の歴史を振り返りながら、「『ザ・ノンフィクション』は何を描いてきたのか?」を検証する「放送1000回SP」が放送される。ナレーションは、歴代最多の34回を担当してきた女優の宮崎あおいだ。
そこで、2003年から12年にわたり4代目チーフプロデューサーを務めた味谷和哉氏と、19年からチーフプロデューサーを務めている6代目の西村陽次郎氏が対談。26年という歴史の中での番組作りの変化や、象徴であるテーマ曲「サンサーラ」誕生秘話、さらにはバラエティ番組でパロディされることの受け止め方などについて、たっぷりと語ってもらった――。
■平成不況…地べたを這いつくばって生きてる人を追う
――『ザ・ノンフィクション』という番組は、どのように立ち上がったのでしょうか?
味谷:当時、サラリーマンのお父さんが家族と一緒に見られる番組がないということで、編成の重村(一、現・ニッポン放送相談役)さんが、情報番組などを担当する太田(英昭、現・産経新聞社顧問)さんに「日曜の午後にドキュメンタリー番組を作ってくれ」と指示して始まったと聞いています。第1回の野茂英雄さん(『すべてはあの一球から野茂英雄2982球の真実』95年10月15日放送)、第2回のオウム真理教(『特別企画 オウム真理教4人の幹部と私たちの戦後50年』同22日放送)は、全部太田さんが準備したんです。だから、重村さんと太田さんが、最初に“井戸を掘った”人なんですよ。
西村:当時の新番組資料にも「お父さんが娘に『一緒に見ないか?』と言えるノンフィクション・エンタテイメントです」と書いてあって、海外紀行や潜入取材ルポ、スポーツドキュメント、海外ドキュメンタリーといったもので始まったんですが、時は平成大不況真っ只中で、山一證券が廃業(97年)した頃から、取り上げるテーマが今の「市井の人々を取り上げる」という形に定着していったんです。その頃は、ダンボールや空き缶や新聞古紙を回収して生活しているような、地べたを這いつくばって生きてる方を取り上げるものが多かったんですね。『借金地獄物語』(97年9月21日放送)という作品は15.9%(世帯、ビデオリサーチ調べ・関東地区)という歴代最高視聴率を取るんですが、2003年に味谷さんがCP(チーフプロデューサー)になってからは、そこにヒューマンドキュメントの要素が加わるんです。
味谷:「愛と人情」とよく言ってましたからね(笑)。それまでは男性目線の番組だったんですけど、少し女性目線で「家族を描く」ということもやってみたら、わりと数字が安定してきたんです。
西村:ちょうどITバブルもあって時代が変わり、社会が違う方向に動き出したので、それは当然の流れだったかもしれないですね。
■コロナ禍で「新しい価値観」に需要
――味谷さんは2015年まで、歴代最長の12年にわたってCPを担当されました。
味谷:でも、最後のほうは数字が取れなかったんです。10年やってると社会と若干ズレるんでしょうね。特に大きかったのは、2011年の東日本大震災で、あの頃から同じことをやっても結果が出なくなってしまった。やはり、人々が「現実はもうたくさんだ」となってしまったんだと思います。あの震災でドキュメンタリーとして何かやらなきゃと思って、1カ月後に『わすれない 三つの家族の肖像』(11年4月17日放送)というのを企画したんです。みんな一致団結してやってくれて、賞もたくさん頂いたんですが、視聴者はどんどん離れていく。世の中が変わったことに気づかず、追いつけない自分がいて、あの頃はつらかったですね。そのあたりを当時冷静に見ていたのが、西村くんですよ。
西村:見てましたね。あの頃の味谷さんは本当に苦労されていたと思います。震災が起きて、みんな自分の生き方を考えたと思うんです。「会社で仕事ばかりしてていいのか」とか思うようになって、自分の人生の優先順位がおそらく変わり始めたんですよ。そこで、『ザ・ノンフィクション』で何が起きたかと言うと、自分らしさを追求する人に密着するテーマが多くなってきたんです。象徴的なのは、ニートのカリスマ・phaさんを追った『お金がなくても楽しく暮らす方法』(14年7月13日放送)で、あのとき味谷さんは「これは絶対数字を取らない」と言ってたんですけど、結果すごく取ったんですよね。
味谷:そうそう。自分の中で、「数字が取れるもの」と「数字が取れなくても発信する意味があるもの」とテーマを分けているんですが、数字が取れないと思ってたものが取ってしまったんですよ。
――そしてここに来てコロナという、より自分の生き方を考える時代になりました。
西村:これは震災のとき以上の影響ですよね。都会に住む意味がなくなってくるとか、大きな価値観の変化が起きたときに、多くの人が迷ってると思うんです。すると、他の人のやり方とか人生が気になってきて、そこにヒントがあるかもしれないから、今ドキュメンタリーの需要が高まっている背景があると思います。最近で言うと、モバイルハウスで暮らす若者たち(『ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~』20年12月6日放送)とか、リヤカーでシフォンケーキを売る夫婦(『シフォンケーキを売るふたり ~リヤカーを引く夫と妻の10年~』21年1月17日放送)とか、F1・M1(男女20~34歳)の数字がすごく高いんです。物語として何も起きないんですけど、そこに新しい価値観があるからウケているんだと思います。
――有名人やその道のプロではなく、「市井の人」を追っているからこそ、より時代を映し出す番組になっていると思います。
西村:そうですね。今回1,000回のラインナップを見て、本当に“時代を映す鏡”だなと思いました。当初は迷走していましたが、ずっと変わらないのはとにかく“人の心”を描いてるんです。