英語は落第点だった!?

深谷氏は2013年11月にスイスに渡り、ネスレ S.A. ゾーン AOA アシスタントリージョナルマネジャーに就任した。そもそも、英語は得意だったのだろうか。話は再び、就職活動当時に戻る。

「英語に関しては、ネスレ日本の最終面接でも『話せるんですか』と聞かれました。そのとき、正直に『まったく話せません。内定をもらったら勉強します』と言ったんです(笑)。アメリカ人の子供でも話せるのなら、時間を使ったら誰でも話せるようになれるんじゃないですか、と生意気を言っていた。そうしたら本当に内定をもらったので、これはやばい(笑)と思い、内定が決まった次の日に英会話の勉強を始めました」。

「入社前から英会話教室に週3~4で通い始めたのですが、初めて受けたTOEICの点数はさんざんでした。ネスカフェ事業部に移ってから日常的に英語を使うようになった2006年当時で、やっと750点くらい。その後も日常的に英語に触れる環境で仕事をし、2年に1回TOEICを受けていくんですが、2008年に受けたときは、何だかめちゃくちゃ簡単に思えた。30分くらい時間を残して『仕事あるので帰ります』と伝えました。結果は940点だった」。

「だから英語に関しては、日々、使うのが良いと思います。マイナビニュース読者の方々にも伝えたいですが、英語はハードルの高いものと思わなくて良いんじゃないか。自分自身がそうだったので。イチバン難しい言語である日本語が話せるんだったら、英語も絶対に話せるようになります。怖くないですよ」。

お前なら、何でも壊すやろ

スイスから戻り、2016年1月に常務執行役員 飲料事業本部長に就任。2020年4月1日に代表取締役社長に就任した。このとき、どのような経緯があったのだろうか。

「今から10年前に高岡浩三が社長に就任したのですが、それまでは、生え抜き社員の日本人が社長になった例はありませんでした。高岡が会社の知名度を上げ、業績も伸ばした。そうした流れもあり、次の後継者を探す中でスイス本社が私を指名してくれました。ところで高岡には、常々『日本人ならお前しかいない。お前なら、何でも壊すやろ』と言われていました。例えば、5年間成功してきたビジネスモデルがあったとしましょう。でも、その後の5年間で成功し続けるかは分からないじゃないですか。それがたとえ高岡が育ててきたビジネスモデルであっても、先がないと思ったら平気で壊す。そんな私の気質を、高岡は見ていてくれたのだと思います」。

  • 大事にしたいのは、イノベーションを巻き起こしていく文化

前任者の高岡浩三氏が植え付けたのは、いかにイノベーションを巻き起こしていくかというカルチャーだった、と深谷氏。それが現在のネスレ日本の強みになっており、これからもっと伸ばしていきたい部分だと語る。

「ただ、イノベーションという言葉の響きは良いんですが、そんなに簡単に見つかるものではありません。そして見つかったとしても、強いブランドがないとなかなか前に進めることは難しい。さらに、ブランド力のある企業に真似をされる可能性もある。だから、商品だけでイノベーションはやりません。例えば、自社のある戦略についてプレゼン資料をつくったとします。でも、資料にあるネスレの名を競合企業の名に書き変えたとき、それでも意味が通るんだったら、それはもう戦略ではありません。商品だけでイノベーションをやろうとしても、すぐに真似されます。ヒット商品のコピーはすぐに出てくる。でもそこに、サービスやビジネスモデルの付加価値がついてくれば真似できない。オンリーワンの戦略がつくれる。そういうマインドを、ネスレの社員は持っている。それは、すごく強いことだと思います」。

悩んだら原点に立ち帰れ

最後に、マイナビニュース読者(20代の若手ビジネスパーソン)にメッセージをお願いした。

「自分は何を思ってこの会社に入ったのか、何をしたかったのか、何を成し遂げたかったのか。そうした志は、中堅社員になるにつれてどんどん忘れ、薄れていくものかもしれません。日々の仕事の中で夢を忘れ、夢が遠のき、『忙しい』を言い訳にして努力を怠ってしまう。でも、重要な決定をするときに立ち返る考えがある、というのは将来的に大事になります。自分が立ち戻れる起源があると、腹落ちできるし、もっと頑張らないと、と思えてくる」。

「それは企業にとっても同じです。ネスレは何のために存在しているのか、それが事業を決定する拠り所になる。企業にとってのパーパス(存在意義)があり、個人にとってもパーパスがある。自分をひとつの商品として考えてみましょう。ひとつのブランドと考えてみれば、自分にはどんな価値があって、周りのライバルがどんな強みと弱みがあるか、客観的に見えてくる。だから今後、どうしていくべきかを考えられる。中堅社員になると悩むことは増えますが、原点に立ち帰ることでモヤも晴れるのではないか、と思っています」。

写真:カワベ ミサキ