■データも活用し、ライバルチームのマークをはねのけた
高橋と一緒に壁を乗り越えた出来事がもうひとつあると、三井氏はいう。それは、ゴールデンルーキーを攻略しようと躍起になっていた野村克也監督が率いるヤクルトによる「高め」を攻める作戦への対応だった。
——高橋選手への他球団のマークは厳しかったのでしょうか?
三井 彼くらいの成績を残す打者については、どの球団からも分析され、なにかしらの対策をとってくるものです。そうした対策でずば抜けていたのは、やはりデータを駆使することで知られていた「野村ヤクルト」ですね。巨人とヤクルトは1990年代のセ・リーグの覇権を奪い合ったライバルでしたから、互いに裏をかきあう情報戦は熾烈なものがありましたよ。
——かなりの対策をヤクルトは高橋選手に対しとってきたのでしょうね。
三井 そうですね。首脳陣、そして捕手の古田敦也らは少し変わった攻め方をしてきました。高橋は高めのコースが得意で、失投を逃さずとらえる打撃をしていたため、多くの投手は失投を避けようと少し神経質になり、それが逆に高橋を有利にしている面がありました。しかし、ヤクルトは臆せず高めに投げてきた。彼らは「高橋は高めのボールを打っているが、力の入った強いボールはそこまで確実にとらえていない」と分析し、高めに力一杯ボールを投げ込む作戦をとってきたのです。
当然、高橋は高めが好きですから積極果敢に打ちにいく。でも、力のある高めはファウルになることが多く、高橋はいつもカウントを悪くしてしていました。カウントが不利になれば、必然的に打ち取られるケースも増えていきます。わたしはスコアラーの立場から、高めを打ちにいきたがる高橋にヘルメットを深く被らせ、「視界に入ってきたボールだけを打ちにいこう」と伝え、高めを捨ててもらった。そうして、ヤクルトの高橋対策を封じたのです。もちろん、ヤクルトバッテリーの攻めに関してのデータもしっかり覚えてもらいました。
——情報を用いた戦い、いわゆる駆け引きですね。
三井 新人王をとった高橋は、その後大きなスランプにおちいることなく成績を残し続けました。これはひとえに高橋の努力の賜物です。ですが、データを用いて方針を示すスコアラーの意見に耳を傾けたこともいくらか影響したのではないかと思っています。強打者には、どのチームも対策を練ってきます。それを見抜いて、こちらもまた対策する。
そうした対応を粘り強くしていかないと、成績を残し続けるのは難しいものです。高橋はそういった情報の活用にも興味を持ち、野球を探求し続ける選手でした。
——肉体も、頭脳も、野球に捧げていた。
三井 高橋はキャリア後半、ケガの影響で成績は伸びにくくなっていましたが、打撃自体は引退直前まで進化していました。引退の前年である2014年、打席で間合いをずらされて詰まらされていたボールに対し、うまく距離を保ちヒットにする打撃を自分のものにしていたんです。スタメンの機会も減り打席数も限られていましたが、「ああ、やっと高橋の打撃が完成したな」と思いましたね。
もちろん、練習量も引退までほとんど落ちることもありませんでした。いろいろな考えを取り入れながら試行錯誤を重ね、見つけた答えを猛烈な練習で自分のものにする——。そんな泥臭い努力を最後まで続けたのが、高橋由伸という選手だったと思います。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人