飲食業に大きなダメージを与える新型コロナウイルスの感染拡大。その恐ろしさは、長年にわたって客の笑顔のために頑張ってきた人の生きがいや、地域の人たちのふれあいの場を奪ってしまうという事態にまで及んでいる。
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で2日に放送される『おなかも心もいっぱいに ~はっちゃんの幸せ食堂~』で、群馬・桐生市にある名物食堂の店主に密着した、スタッフラビの武田晋助ディレクターに、その実情を聞いた――。
■とにかくパワフルなおばあちゃんだった
バイキング形式で並ぶおふくろの味を、たった500円で時間無制限に楽しめる「はっちゃんショップ」。料理に加え、22年間1人で続けてきた店主・“はっちゃん”こと田村はつゑさん(84)との楽しい会話が大きな売りで、地元の人たちが自然と集まって地域のサロンのような雰囲気があり、そこに全国各地からやってきた来店客とも交流が生まれるという。
そんなはっちゃんに武田氏が出会ったのは、2015年に放送されたドキュメンタリー番組『一滴の向こう側』(BSフジ)での密着取材だ。
「とにかくパワフルなおばあちゃんで、カメラを回していても『いいからそれ置いてご飯食べなさい』って言うんです。『おいしい』という言葉が本当にうれしいみたいで、『あぁそうかい。じゃあこれも食べな』って(笑)。1人で全部やっちゃうんですけど、近所の人も手伝いに来るんですね。でも、はっちゃんから頼むことは一切なくて、本当にすごい人だと思いました」(武田氏、以下同)
それから5年が経ち、再び連絡をとったきっかけは、新型コロナウイルスだった。バイキングで狭い店内に客は常に満席、県をまたいで全国から来店客が集まるという、コロナ禍において否定されるスタイルだっただけに、現状がどうなっているのか、気がかりだった。
連絡をしてみると、やはり来店客が激減し、休業していたことが判明。「それで話を聞きに行きまして、ここから自粛が明けてお店が復活し、お客さんが戻って再び笑顔あふれる姿が見られれば…と思って、取材を始めました」と経緯を明かす。
■家族から「もう辞めたら」と進言も…
しかし、5年ぶりに会ったはっちゃんに、以前のパワーは全く感じられなかった。「あんなに元気だった人が、ものすごく老け込んでいるように見えたんです。病気になったのかと思って、『大丈夫ですか?』と聞いてしまうくらいでした」
店に出す料理は全て自分で作っていたのに、食事はスーパーの惣菜などで済ませる生活。そんな姿を見て、「自分の生きがいがなくなってしまったときに、人というのはこんなに年を取るのが早くなってしまうのかなと思いました」と、今回の密着当初の印象を振り返る。
それでも、店を完全に畳むという決断はしなかった。「実際には迷っている感じでしたが、みんなに『辞める』と言ってないから、また一度はやらなきゃいけないという気持ちがあったんだと思います。娘さんや家族は、はっちゃんがコロナに感染する恐さがあるし、再開しても本当にお客さんが来るのだろうかという不安もあるので、『もう辞めたらいいじゃない』と言ってたんですけど、『またやってみてダメならもう辞めちゃうから』という感じでしたね」
番組の中では、店の経営で毎月7~8万円の赤字を出しても「お腹いっぱいになれば人は幸せになる」と、お金より笑顔を大事にしていたはっちゃんが、休業中に「(店を)やらなければ15万円(2カ月分の年金)っていうお金が入るんだよね。本当はやらないほうがいい」と、諦めともとれる発言をする場面も。これには武田氏も衝撃を受けたというが、「たぶん、自分を肯定するための言い訳だと思うんです。コロナとかいう何だか分からないものに負けたくないという、一種の“強がり”のように見えましたね」と解釈した。
取材中にも、なじみの客から毎日のように再開を願う電話がかかってきており、そうした人たちの声も後押しになって、緊急事態宣言の解除後、6月15日の再開を決断。それに向けて準備に動き出すが、この時点でもまだ、はっちゃんの迷いを感じたという。
「お店をきれいにしたり、僕も天井を貼り直したりするのを手伝っていたんですけど、6月15日に決めるというときも含めて、『よっしゃ! これでやるぞ!』っていう感じにテンションが上がることはなかったです。自分が納得して休んだわけじゃなくて、なんだか分からないものに生きがいを奪われたということが、相当ショックだったと思います。そもそも、84歳の人がトータル2カ月半も休んでいたわけですから、僕は元に戻ることができないんじゃないかという心配もありました」