――2003年にコンビを結成されてから、17年。お二人が楽しんでネタをやっていることが見ているこちらにも伝わってきますが、そんな中でも苦しかった時期はありますか?

後藤:「売れたい」という気持ちがあるけれど、「売れるってどんなことなんだろう」と思ったり、そこに向けて何をやったらいいのかわからないという時期は、しんどかったですね。20代はひたすらいろいろなことをやってみましたが、それがどこに向かっているのかがわからなかった。『めちゃイケ』にも出させていただきましたが、僕らは力になれていないんじゃないかと思うこともあって、苦しかったですね。突破口になったのは、M-1で決勝まで行かせてもらって、ネタに対するお客さんの反応を大きく感じられるようになったことだと思います。やっぱりネタをやって喜んでもらうことが、僕らも一番うれしい。そう考えてからは、気持ちも楽になったように思います。

福徳:どんなにスケジュール的にキツくてもネタ作りだけはしようと思っていたんですが、忙しくてネタ作りに専念できない時期は、本当につらかったですね。やっぱり忙しすぎると、メンタルは壊れていくもので。ほどよく自分の時間がないと、僕は壊れていくタイプなんだなと気付きました。そういった意味でも、今は自然を感じる時間もありますし(笑)、とても人間的な生活ができていると思います。

後藤:やっぱり僕らの強みって、自分たちが楽しんでいることなのかなと。あとはネタ数も、強みですね。

福徳:それと2人とも“ノーアルコール、ノースモーク、ノーギャンブル”であること。これは意外と、強みになる。やっぱり前世で何かの縁があったんだと思います。

■「前世はカップルだったのかも!」2人が見つめる未来

――コンビ仲、円満の秘訣はあるのでしょうか。

後藤:そういえば、僕らのYouTubeチャンネルが、日本の“トップカップルユーチューバー”の上位にランキングされていました。カップルユーチューバーとして認識されているんだと…。前世はもしかしたらカップルだったのかもしれません(笑)。

福徳:カップル…。納得はいかないですが、そう見えるのかという感じもしますね。親友という感じでもないですし、街で偶然見かけたとしても「あ、後藤やん!」とすら思わない。無の境地です(笑)。でも人生において、家族より、誰よりも一緒にいるのは確実ですし、この出会いは奇跡としか言いようがない。僕は中学受験で失敗しているんですが、もし中学受験に成功していたら、この出会いもなく、違う人生だったはず。受験に失敗してラッキーでした!

――「ネタが尽きない」というお二人ですが、これから年齢を重ねていく上で、どんな未来を夢見ていますか?

後藤:「おっさんが学生服を着ている」ということで笑いが起きだすと、ちょっと厳しいなとも思っています。いつまで学生服を着たネタがナチュラルにやれるかという課題もありますが、もしそれができなくなったら、また新しい設定が生まれてくると思います。そのときに自分たちがどんなネタを作るのか、今から楽しみです。

福徳:どんどんおっさんになっていきますからね。今だったらおっさん同士の喧嘩のコントをやっても、どうしてもコント感が出てしまうけれど、実際におっさんになったら、リアルなおっさんの喧嘩コントができる。これは楽しみで仕方ないですね。街でおっさん同士の喧嘩ってたまに見かけますが、やっぱりちょっと面白いですもんね。あれのリアルバージョンをできると思うと、ワクワクします(笑)。僕は遺伝的にハゲる可能性があるんですが、そこでまた面白いことができるかもしれません。シワ伸ばしなどもせずに、自分の老けと一緒に、お笑いも楽しんでいきたいです。

後藤:そう。老けていくことに抗わず、年齢に寄り添って。

福徳:見習うべきは、吉永小百合さんですよね。あんなきれいな歳の取り方をしていきたいです!

――今は新型コロナウイルスにエンタメ界も翻弄されています。早く収束することを願うばかりです。

後藤:お笑いは、お客さんありきのエンタテインメントです。こんなことになるなんてまったく想像していなかったですが、僕らは今、できることをやるしかないと思っています。自分たちで考えたことを披露して、ウケたときに聞く笑い声って、ものすごい快感を与えてくれるもの。お客さんの笑い声が、僕らの力になっているんです。

福徳:クサイことを言ってしまうと、みんなの笑顔が見たい、笑い声が聞きたいと思ってやっていますから。早く、またみんなで笑える世の中に戻ってほしいなと思っています。

■ジャルジャル
高校時代からの友人同士である、後藤淳平と福徳秀介によるお笑いコンビ。2003年4月にコンビ結成。2010年10月には『めちゃ×2イケてるッ!』の新メンバーとして選出。2019年に『キングオブコント』第3位、『M-1グランプリ』では2015年と2018年に第3位に輝くなど、コント、漫才でも高い評価を受けている。