「6」の名に見合う進化が欲しかった

D6に関しては、その姿が明らかになる前から誰もが「D780と同じようにミラーレス機並みのLV時AF動作が可能であるはず」との期待を抱いていた(と思う)。D780が先に世に出てしまったから致し方のない流れであったとはいえ、D6の実態を知ったときに落胆がなかったといえば嘘になる。「そんなもの一眼レフには必要ない」とは、正論ではあるけれど、そこが現代の一眼レフが持ち得るほぼ唯一の「新たに明確な進化を与えられるポイント」であるのも確か。ここでD6に感じることになったそこはかとない物足りなさを効率よく擁護しうる言葉は、残念ながら持ち合わせてはいない。

要するに、かつての感覚を引っ張り出すなら「D6」ではなく「D5s」の方がしっくりきそうなド“s”な「D6」なのである。一眼レフとしての仕上がりはものすごくいい。実際に撮ってみれば、繊細でヌケの良い仕上がりと素性の良い超高感度画質から、有効画素数が2082万画素キープであることの必然性にもすんなり納得できる。だから、D4ユーザーなら四の五の言わずに“買い”だ。AFに細かな不満を抱いていたD5ユーザーのアナタも“買い”である。無論、いうまでもなく堅牢性や耐久性にはお墨付きなのだから。

でも、いかんせん総合的な進化の歩幅が小さかった。「s」の付くマイチェン機ではないというならば、D4やD5ユーザー以外をも漏れなくバッチリ納得させ得る何かが欲しかった。それがホンネだ。このD6のありようを想定内と捉えるか期待外れと切り捨てるかは、受け取る側の考え方次第。さて、アナタならどうする?

  • レンズの手ぶれ補正機能の能力とD6ボディのほどよい(けっこうな?)「重さ」が相乗効果を生んでいるのか、流し撮りの歩留まりがものすごく高い。誰でも流し撮り名人になれちゃいそうな手応えなのだ(AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VR使用、ISO160、1/200秒、F5.6、+1露出補正)

  • 質感の描写にも一切の不足を感じさせない余裕にあふれる画作りには多大なる安心感が備わる。ピントの確実性を含め、いついかなる時にも「シャッターボタンを押すだけで期待以上に写る」のだ。これぞフラッグシップ機の隙のなさ。この特性が得られる次期イメージセンサーの開発には、なるほど苦労しそうである。像面位相差画素を入れようとするとなおさらなのかも?(AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VR使用、ISO2500、1/2000秒、F5.6、+0.7露出補正)

  • ISOオートで導かれた撮像感度はISO102400。ノイズの残し方を含む細部の描写には好みが分かれるかもしれないが、個人的には「この感度でもちゃんと画になっている」ところを最大限に評価したい。これなら(目的や被写体にもよるけれど)じゅうぶん使える。D3で初めてISO102400が使えるようになったときのことを思うと、まさしく隔世の感(AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VR使用、ISO102400、1/400秒、F5.6)

  • D6に確実な進化を感じつつも、大胆な改良を遂げてきたEOS-1D X Mark IIIの存在が気になる落合カメラマン