●残ったものが何かに目を向けたほうがいい
――ある程度日常が戻ったあとも、こういう配信での上演をしていく可能性はありますか?
これは一生涯やっていけるかなと思っていますし、実はもう動き出しています。例えば、執筆はしていても、発表するタイミングがなかなか合わなかった短編などをノーアングルでやるのは面白そうです。あとは、今回果たせなかった「マルチアングル」も実現したいですね。「マルチアングル」での配信は、ひょっとしたら流行るんじゃないかな。生で顔も見えますし、演出もフレームインとか色々とできる。映画と演劇が混ざったような公演ができる気がしています。
――新しい発見ができた。
そうですね。あまりバーチャルに偏ることを僕は「良し」と思っていませんでしたし、演劇の演出に関しても、メカやプロジェクションは入れないでやりたいと思っていました。でも、今は付き合いかた次第かな、と思うようになっています。
――こういう状況だとネガティブになりがちですが、ポジティブに考えていらっしゃるんですね。そういう行動に勇気づけられる方も少なくないと思います。
人間の心のサガとして、「犯人がいて欲しい」って考えてしまうところがあると思うんですよね。僕も、自分たちに対して敵がいる、という構造が頭に作られちゃうことがあります。でも、いや、だからこそ、こんなときに変わらず「バカだねぇ」ってことを、「バカだねぇ」って言われ続けて、やり続けられること自体が大切なことだったのかもしれません。
あと、今回は仲間がいたのが大きかったですね。みんながずっと震えていたから、その分強くなれたと言いますか。本当は「やべえ」と思いながらも、「ぜんぜん平気、普通にやろう」と言うことによって、自らを奮い立たせることができました。
――仲間の大切さを改めて感じた。
危機的状況だから感じられたというのはありますね。離れているから心配させないようにしようっていう思いやりがお互いにあったとも思います。普段以上にしゃべっていたような気がしますね(笑)。
――熱いお話、ありがとうございました。ここからは、自粛期間中のお家の過ごし方についてもうかがえればと思います。公演の準備もあったかと思いますが、それ以外で自宅ではどのようなことをやられていましたか?
僕は、ただただ絵を描いて音楽を作って、新しいお話を書いていました。絵に関しては水彩などを元々やっていたのですが、この機会にアクリル絵の具で絵を描く練習を始めました。動画編集なんかも始めましたね。もっと色々と挑戦したいなと思っています。あとは金成さんがお誕生日だったので、短編の物語を作ってオンラインで収録し、合唱もミックスしてお祝いする、なんてこともしました。
――色々なことに取り組んでいらっしゃいますね!
これは、僕がバスケをやっていた頃に憧れていた、田臥(勇太)選手のエピソードなんですけども、彼はポジションがガードだから、ドリブルが上手じゃないといけなかったんです。それなのに、ある日、右手を骨折してしまうんですよ。でも、その期間に左手でドリブルをしていたら、両手とも上手になれた。結果的に骨折してよかったってお話があって。だから僕も、何かあっても「これは何かのチャンスなんだ」と考えるようにしていますね。
――今回の公演もそうですが、ピンチになったとき、どうするかを考えて行動に移してきたんですね。
ショックを受けている時間がもったいない気がして。なくしたものより、残ったものが何かに目を向けたほうがいいと思うんです。かと言って、なかなかすぐに行動するのは難しい。でも、最初にポジティブになれる人が一人でも出てくると、みんなも付いていけると思うんですよ。うちも、「リモートでやるのなんて、無理」ってみんなが思っていました。でも、誰かが「できる」って行動したら、もうみんなが動き出せたんです。そういう意味では、「おうち時間」って言葉を作った方はすごいですよね。外に出られないっていう状況を「家にいられる」というポジティブな方向に転換した。発想の転換が素晴らしいと思います。
●雨に意味を付けられるのが「エンターテインメント」
――先ほどお話のなかにあがった「おうち時間」企画では、同業者の方々も色々な動きをされていました。そのなかで印象に残っているものがあれば、教えてください。
そういうのを見てしまうと、自分の考えがそっちに寄ってしまいそうなので、実は普段からあえて見ないようにしているんですよね。でも、この期間でやられていた「音楽の繋がり」なんかはいいなと思いました。あと、海外ではオンライン上で演劇を公開していて、すごいと思いました。だって、今のタイミングで無料公開する必要ってあんまりないじゃないですか。それこそ、公演が中止になったなら、有料でやって予算の補填にもできる。でも、エンターテイナーだから黙っていられなかったんでしょうね。もちろん宣伝したいという意図もあるんでしょうけども、人を楽しませることを、やらずにはいられなかったんだと思います。そういう同業者の本性が知れて、嬉しいですね。
――個人的には、そういう楽しみがあるからこそ、生きている実感が湧くという気もしています。
そうなんですよね。こういっちゃなんですが、人間って生きるってだけなら、そんなにすることはないと思うんです。食べる・寝るなどをすれば生きてはいける。でも、それでいいのかって話で。だからって、「エンターテインメントが重要なんだ」ということを言いたいわけじゃありません。「エンターテインメント」に触れなくても、とにかく、「楽しむ」ってことが必要だと思うんです。だって、神様は食べ物を食べておいしいって感覚になるように人間を作ったんですよ。別に栄養があるかないかだけ分析できるようにしていれば、生きる機能は維持できるのに、わざわざ「おいしい」と感じるよう設定してくれた。音が心地よいって感じるのだって「楽しみなさいよ」っていうことなんだと思います。この「楽しむ」っていうオプションは、恵みなんでしょうね、なんで哲学みたいなこと語っているんだろ(笑)。
――すごく素敵なお話だと思います! そんな末原さんが感じる、「エンターテインメントのチカラ」や魅力について、教えていただけないでしょうか?
僕は、物語というものを大事にしています。例えば、この取材が一生で一回しかできない、これが終わったらもう二度と会えないって設定の物語だとすると、すごく尊くなるし、物の見え方が変わってくると思うんですよ。僕らは雨が降ったら、それを止めるなんてことはできません。でも、その雨に意味を付けられるが「エンターテインメント」なんだと思います。例えば、ハードロックを聞きながら雨を見るのと、ボサノバを聞きながらでは、全然見え方が違うと思います。これは、気分と言ってもいいかもしれません。その気分の在り方をちょっとだけ導けるのが、「エンターテインメント」かな。
今回特に思ったのは、日常から逃げ込むだけの物語じゃなくて、日常に持ち込める物語を作りたいということ。現実を忘れてもしょうがないというか、一瞬だけの「ああ楽しかった」「ああ気持ちよかった」で終わらせたくないと思ったんですよね。24時間のうち1~2時間エンターテインメントに触れたとしても、人間には残り22時間がある。それが毎日続くのだから、たった2時間だけ気を紛らわすものにするんじゃなくて、一生続くものにしたいんですよね。その体験が思い出になって、「人生のお守り」みたいにしてもらえると、嬉しいですね。
――最後に、ある程度日常が戻ってきたときに、どんなことをやりたいですか?
やっぱり、芝居ですね。落ち着いても落ち着かなくても、やりたいのは物語をやるってこと。それしかないです。あとは、やっぱりみんなに会いたいですね!