「マツダの赤」に秘められたストーリー
展示されていたファミリアは3ドアのスポーティーグレード「XG」。色は赤だ。50代以上のクルマ好きであれば、「赤いXG」が「陸(おか)サーファー」ブームの主役だったことを覚えているだろう。このクルマのルーフキャリアにサーフボードを乗せ、シートにはTシャツを着せて、海辺ではなく街を流している若者を当時はよく見かけたものだ。
5代目ファミリアには確かに、ブームの主役となる資質があった。開発コンセプトは「若い人が乗りたくなるクルマ」で、安定感のある台形フォルムに大きな窓が際立つシンプルなスタイリングは今なお若々しい。
展示車両脇のパネルには、「クリスタルカット」にも注目してほしいとの文言が。ヘッドランプの角やサイドウィンドウ前端などを斜めにカットしたことで、バランスの良さの中でクルマに動きを与えることに成功しているという解説だ。
鮮烈な車体色も目を引くファミリアだが、マツダが赤をイメージカラーに据えたクルマはこれが初めてではない。「マツダの赤」は、1975年発表の「コスモ AP」(APはアンチポリューション=公害対策の意味)から始まった。2代目コスモはトヨタ自動車「クラウン」と同じ車格のクーペであり、それほどの高級車に赤という提案は賛否両論だったそうだが、結果的には人気を得ている。
ちなみに、コスモ APのデザインを担当したのは、現在のマツダ車を特徴づける「魂動デザイン」という考え方を生み出した前田育男氏の実父である前田又三郎氏だ。5代目ファミリアの開発当時、又三郎氏はマツダのデザイン部長を務めていた。コスモ APがデビューした1975年は、プロ野球で広島東洋カープが初めて赤いヘルメットを採用し、球団初の優勝を果たした年でもある。今のマツダのデザインやカラーとのつながりを感じるストーリーだ。
スポーツカーが受け継ぐもの
では、「ロードスター」のようなスポーツカーはマツダのデザインにとってどのような存在なのか。こういった車種には、新たなブランドデザインを提案するイメージリーダーとしての役割があるというのが私の考えだ。海外でも、アウディ「TT」などこうした例が多い。
マツダでいえば、同社初のスポーツカーであり、初のロータリーエンジン搭載車となった1967年発売の「コスモスポーツ」もそうだし、1978年デビューの「サバンナ RX-7」もこれに該当する。
コスモスポーツには、重次郎氏の後を継いで社長に就任した松田恒次氏が、若手から抜擢されたデザイナーに対し「思い切ったデザインを」と注文をつけたという逸話がある。その結果、「コスモ」(宇宙)の名にふさわしい未来的なフォルムが現実になった。
サバンナ RX-7は、前出の前田又三郎氏がデザインを担当。キャビン周辺の造形をコスモスポーツから受け継ぎつつ、小型軽量のロータリーエンジンを前輪とキャビンの間に積むフロントミッドシップ方式を採用することで、リトラクタブルヘッドランプから始まるスポーツカーらしいスタイルを実現した。
1989年発売の初代「ロードスター」は、RX-7で採用したフロントミッドシップとリトラクタブルヘットランプを継承しながら、速さよりも運転の楽しさを追求するというコンセプトに基づき、たくましさよりも優しさを感じるスタイリングにまとめあげた。
3台のデザインはテイストがまるで違うのに、マツダのスポーツカーとして継承しているものがある。さらにいえば、他のマツダ車との間にも、デザイン面でのつながりがあるのだ。
例えば現行ロードスターは、2012年発表の「CX-5」から始まった魂動デザインを取り入れ、線にこだわらず面の映り込みにこだわった造形を身にまとっている。スポーツカーなのでプロポーションの抑揚を出しやすかったこともあるだろうが、その経験は「MAZDA3」や「CX-30」にもいかされていると思う。
3輪トラックからスタートし、ロータリーエンジンをものにしたマツダのクルマづくりは、振り返ってみれば波乱万丈だった。しかし、その中でデザインへのこだわりを忘れなかったことが、100年という歴史を刻んだ原動力のひとつになったのだと考えている。