今年で創立100周年を迎えたマツダ。近年は「魂動(こどう)デザイン」を打ち出し、独自の造形で存在感を発揮する同社だが、実は昔から、デザインにはこだわりを持っていた。3輪トラックから現在へと続くマツダのデザイン史をいくつかの車両で振り返ってみたい。

  • マツダのファミリアとロードスター

    2020年2月23~24日にパシフィコ横浜で開催されたヒストリックカーイベント「第12回 ノスタルジック2デイズ」(Nostalgic2days)でマツダ100周年の歴史を彩った4台を見ることができた

3輪トラックも形にこだわる

マツダのルーツをたどると、1920年に設立された東洋コルク工業という会社に行きつく。その名が示すように、当初はコルクづくりを生業としていたのだ。しかし翌年、松田重次郎氏が社長に就任すると、同社は機械生産に参入。関東大震災後、GMやフォードのノックダウン生産が始まって日本でも自動車が走り始めると、その影響を受け、東洋コルク工業もクルマづくりを目標に定めるようになった。

重次郎氏は1927年に社名を東洋工業に改めると、3年後にまずは2輪車を開発し、レースに出場して優勝を果たす。その翌年には3輪トラックに進出。第1号の「DA型」は、3輪車初のバックギアや、左右輪に回転差を与えつつ両輪に力を伝えるデファレンシャルギアを採用するなど当初から先進的だった。

マツダは今回、自身でレストアした4台をノスタルジック2デイズに展示した。その中で最も古い車両は、1938年発売の3輪トラック「GA型」だった。

  • マツダの3輪トラック「GA型」

    1938年発売の3輪トラック「GA型」。展示車両はマツダがレストアしたものだ

他社製3輪トラックの多くが2輪車に似たパイプフレームを用いる中、このGA型はいち早くプレスフレームを採用することで、乗り降りがしやすく、流麗なフォルムを持ち、余裕のある積載量を備えた3輪トラックとして人気を博した。メーターパネルの周辺には、「青春」「平和」「安全」などの意味を込めた緑色のカラーリングを採用。当時は「グリーンパネル」というニックネームまでつけて販売するという斬新なマーケティングを展開していた。

  • マツダの3輪トラック「GA型」

    ニックネームは「グリーンパネル」

それまでは燃料タンクの脇にあったシフトレバーを中央に据えたこともGA型の特徴だ。当時は多くの自動車が3速のギアボックスを搭載していたが、マツダ(当時の東洋工業)は4速を採用。技術面でも一歩先を行っていたことが分かる。

  • マツダの3輪トラック「GA型」

    シフトレバーは中央に設置した(展示車は燃料タンク未装着)

このGA型は、第2次世界大戦により一時的に生産中止となったものの、戦争が終わった1945年には早くも生産が再開された。原爆投下によって未曾有の大被害を受けた広島の復興を支えたのである。

戦後もデザインにこだわる姿勢は不変だった。1950年に発売した「CT型」からは工業デザイナーの小杉二郎氏を起用し、シンプルかつスマートな造形のフロントマスクやウインドスクリーンを採用。4年後には全車をモデルチェンジし、2灯式ヘッドランプや曲面ガラスを用いた流麗なフォルムを与えるとともに、センスの良い2トーンカラーまで取り入れた。

大ヒット車となった5代目「ファミリア」

念願だった4輪乗用車への参入は1960年。第1号は軽自動車「R360クーペ」で、2年後には軽自動車初の4ドア、4気筒エンジンの「キャロル」を登場させた。小型車ではまずトラックを送り出すと、1963年には現行モデル「MAZDA3」のルーツとなる「ファミリア」の初代がデビューしている。

  • マツダ「R360 クーペ」

    マツダの4輪乗用車は「R360 クーペ」から始まった

初代ファミリアの3年後、マツダは上級セダンの「ルーチェ」を発売する。このクルマで同社は、再び外部のデザイナーを起用した。相手はその後、ランボルギーニ「カウンタック」やランチア「ストラトス」などのスーパーカーを担当することになるイタリアのカロッツェリア「ベルトーネ」だった。

  • ランチア「ストラトス」

    後にランチア「ストラトス」(写真)を生み出すイタリアのカロッツェリア「ベルトーネ」がマツダ「ルーチェ」を手掛けた

ノスタルジック2デイズに展示されていたのは、クーペボディにロータリーエンジンを積んだ「ルーチェ ロータリークーペ」だった。このクルマは日本初の前輪駆動乗用車でもある。低いノーズ、大きな窓、伸びやかなプロポーションは、今見てもまったく古さを感じない。マツダのデザイナーがこのルーチェから吸収したものは多かったはずだ。

  • マツダ「ルーチェ ロータリークーペ」
  • マツダ「ルーチェ ロータリークーペ」
  • マツダ「ルーチェ ロータリークーペ」
  • 時を経ても色あせない「ルーチェ」のデザイン

その後のマツダは多くの車種にロータリーエンジンを搭載し、高性能イメージをアピールした。しかし、1973年のオイルショックでは燃費の悪さが欠点となり、会社の経営をも揺るがせる。その劣勢を一気に跳ね返したのが、1980年にデビューした5代目「ファミリア」だった。

  • マツダの5代目「ファミリア」

    マツダの窮状を救ったのが5代目「ファミリア」だった

先代から2ボックススタイルを採用していたファミリアは、この代で前輪駆動化。マツダ車としては初めて月間販売台数トップの偉業を達成し、この年から始まった「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。