そんな青木アナは、同志社大学時代に「ミスキャンパス同志社2016」に選ばれ、Jリーグ・京都サンガのPR大使を務めた経験などから、「人前で話す機会が増えて、それが楽しいなと思えたんです」と、アナウンサー志望に。小・中・高校時代は「消極的なほうだったので、当時の先生は私がアナウンサーになって『あんな子だったっけ!?』ってビックリしてるんじゃないかと思います(笑)」という。

愛媛出身の青木アナにとって、南海放送は故郷の放送局。東京のキー局や、大阪の準キー局も受験したそうだが、「地元に貢献したいという思いは、すごく大きかったです。ミスキャンパスのときも、地元の人が『この子は愛媛の子やけん、応援してくれ』ってSNSで呼びかけてくれて。だから、『美学生図鑑』というサイトでインタビューを受けたときには、『愛媛に帰ると、温かい人柄の方がいっぱいいるので、就職も愛媛に帰ろうか悩みます』って答えていました(笑)」。

■生放送中に意識を失う

まもなく入社して1年になるが、「あっという間でした。1年目は大抵のことが初めてのことになるので、とても緊張するのですが、なんとか乗り越えて、また緊張して、なんとか乗り越えて…という繰り返しですね」と回想。特に印象に残っている仕事は、『愛媛マラソン』だという。

アナウンサーはもちろん、制作スタッフだけでなく、営業の社員も参加する全社を挙げた年に一度の総力戦になるイベントで、青木アナは中継車の3号車からの実況に抜てき。「センター試験の過去問を解くような感じで、何年か分の過去のVTRを見て練習して、イメージトレーニングをしました。資料もたくさん作って臨んだのですが、どれだけ準備しても、本番は去年と出てる人も違いますし、言いたいことややりたかったことの1割が出せたか、出せなかったくらいでした」と、ほろ苦い実況デビューとなった。

放送は6時間という長丁場で、「最後の残り30分くらいのところで、ボーッとしてしまい…。ディレクターさんに『ちょっと!ちょっと!』と声をかけられて、魂が戻ってきたんですが、数秒間、意識がどこかに行ってしまう時間がありました。車酔いしないタイプなんですが、資料を読むのに下を向いているからか、最後に気持ち悪くなってしまったり…」と反省は尽きない。

それでも、「みんなと一緒に準備して、6時間の生放送ができたというのは、本当に貴重な経験になりました」と、大きな糧になったようだ。