アーサー・コナン・ドイルの名作を令和の東京に舞台を置き換えて映像化するフジテレビ系月9ドラマ『シャーロック』(7日スタート、毎週月曜21:00~ ※初回30分拡大)に主演する、歌手で俳優のディーン・フジオカ。フジで海外の古典原作に挑むのは、『モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―』(18年4月期)、『レ・ミゼラブル 終わりなき旅路』(19年1月6日)に続き、3作目となる。

このいずれの作品でもプロデューサーとしてタッグを組んできたのが、フジテレビの太田大氏。ディーンには「存在自体が企画意図」というほど、古典原作との相性の良さがあるのだという。『シャーロック』制作の裏話を含め、話を聞いた――。

  • 『シャーロック』に主演するディーン・フジオカ

    『シャーロック』に主演するディーン・フジオカ (C)フジテレビ

■“少し不安を感じさせる雰囲気”

古典原作を現代の日本に置き換えてドラマ化するという手法を太田Pが手がけることになったのは、フランスの新聞に毎日連載されていた『モンテ・クリスト伯』の原作が、「物語の“引っ張り”を最初に作った作品」として知られており、連続ドラマを作る上で「そこに学ぶことがあるんじゃないか」と思ったのがきっかけだったという。

そこから、主演としてディーンに白羽の矢が立ったのは、彼から醸し出される“無国籍感”が大きなポイントだった。「いろんな国で活躍されてきたというのもあって、出身やルーツをあまり感じさせないですよね。そういう面で、ドラマで海外の古典原作を真ん中でやれる方は他にいらっしゃらないと思ったんです」とのこと。

例えば、舞台では古典原作の上演も多いが、「ディーンさんには、いい意味で“得体の知れない感じ”、すごく素敵なのですが“少し不安を感じさせる雰囲気”のようなものがあると。それがあってこそ成り立つのが連続ドラマなんです。舞台のように2~3時間集中して見るのと違って、民放のドラマはCMも入るので、パッと見たときに『何をやってるんだろう?』と気になってもらうことが重要。すごくフランクな方なんですけど、ある意味身近すぎないように見えるのが、海外の古典原作で必要なところなのかなと」と、狙いを明かす。

ディーンとは『モンテ・クリスト伯』が初めての仕事だったそうで、「それまでのパブリックイメージは、知的でスマートな方だったんですけど、ご一緒してみて分かったのは、ものすごく熱いハートの持ち主だったということ。その思いをクールに包み込んで俯瞰(ふかん)で見られる人なので、感情の起伏がある人物を演じるのに実は適した方だなと思いました」と手応えを感じた。

こうして、ディーン×古典原作に鉱脈を感じた太田Pは、同作が終了した直後に『レ・ミゼラブル』と『シャーロック』の主演をオファー。まさに、ディーンなしでは成立しない企画であり、「ディーンさんの存在自体が企画意図みたいなところがあります」と言い切った。

  • (C)フジテレビ

■『シャーロック』が前2作と大きく違う要素

『レ・ミゼラブル』『シャーロック・ホームズ』も、それぞれのジャンルで新たな手法を開拓してきた不朽の名作。いずれも「素晴らしい古典作品に胸を借りる」という思いで企画を立ち上げたが、今回の『シャーロック』には、前2作のドラマ化とは大きく違う要素があるのだという。

海外の古典原作を現代の日本に舞台を置き換えて映像化するということは「その国のその時代にしか成立しないことを翻案するので、基本的に大変なことは織り込み済みなんです」と苦労があるそう。

『モンテ・クリスト伯』の場合は「信頼していた人たちに裏切られてどん底に落とされ、殺されそうになったところを命からがら逃げて別人になり、復讐していくという話。それさえ守ればいろいろ変えても原作の筋を通せるので、『あの時代のフランスにいたちょっと没落した貴族は、今の日本ならこんな感じの暮らしをしてるああいう人たちかな』と置き換えていくんです。ただ、主要な人物が17人くらいいて、日本の連ドラとしてはすごく多かったので大変だったんですけど、その作業は楽しかったですね」と振り返る。

その作業は『レ・ミゼラブル』でも同様だったが、『シャーロック・ホームズ』に関しては、「人間関係は置き換えられるんですけれど、物語の重要な要素として“トリック”がありますよね。でも、それを2019年の日本に置き換えると、携帯電話があったり技術が大きく進化したりして、絶対に成り立たないトリックがたくさんあるんです」という。

そこで、トリックを原作通りに描くのは不可能だと判断。ただ、「シャーロックとワトソンの関係性だけを生かして、事件はオリジナルで作るというのは何か足りないと思ったんです。そこで、脚本の井上由美子さんから出てきた案が“語られざる事件(=アントールドストーリーズ)”。原作では、シャーロック・ホームズが過去に解決したとされる事件が、本筋とは関係なくよく出てきます。それを『こういう事件だったんじゃないか』という自由な発想のもと作っていくというところに行き着きました」と、方針が決まった。